コロナの感染をゼロにするのは無理だ、一定の感染を認めるべきだという意見を、きのう紹介しました。
これと軌を一にするかのように、3日、オーストラリア政府は「コロナ・ゼロ」の放棄を発表しています(Why has Australia switched tack on Covid zero? September 3, 2021, BBC)。
BBCによればオーストラリアのモリソン首相は、コロナにはもうロックダウンでは対処できない、「コロナとともに生きる」新しい方向に進まなければならないと述べました。
この1年半で200日に及んだオーストラリアのロックダウンは終わることになります。
これからは感染封じこめではなく、ワクチンの接種を加速します。

オーストラリアはおとなの36%が接種をすませました。モリソン首相は、10月半ばまでにこれが70%に達するといっています。そうなれば、ある程度の感染はつづくものの「集団免疫」ができ、社会生活はかなり回復するでしょう。
感心したことがひとつあります。
それはこの路線転換にあたって政府が一定の見通しを持っているということです。
政府決定のもととなったドハティ研究所の予測によれば、70%の集団免疫が達成され、なおかつ検査や追跡調査などの対策がとられれば、オーストラリアの死亡者は6か月で13人です。もし対策が取られなければその数は1500人になる。
こうした具体的な予測数値がある上での決定です。
逆にいえば、政府は「コロナ・ゼロを掲げ、ロックダウンをつづけて多くを失うより、新しい路線に切りかえてこのレベルの犠牲は許容すべきだ」と提案している。具体的にそういうことばでいっていないとしても。
こういう議論の進め方をすると、なんだか見通しが開けたような気がします。

オーストラリアだけでなく、ニュージーランや台湾はこれまでコロナ・ゼロを目ざしてきました。それは長期的には不可能です。あくまでワクチン接種が進むまでの一時的な措置と考えなければならない。どんな国でも、いずれはみな「一定の感染を認める」路線に向かいます。
コロナ対策の基本はワクチン。
感染をなくすことではない。
日本は議論する余裕もなく、いまは崩壊した医療の立て直しが最優先の課題です。右往左往でいつも手遅れ、そんなことをくり返しているようで情けないです。
(2021年9月5日)