ニューヨーク・タイムズともあろうものが、こんな記事を載せるとは。
残念というより、言語というものについての誤解がいかに根深いかを示しています(R. Allen Gardner, 91, Dies; Taught Sign Language to a Chimp Named Washoe. Oct. 1, 2021, The New York Times)。
ユタ大学教授だったアレン・ガードナーさんが91歳で亡くなったという死亡記事です。ガードナー教授は1990年代、チンパンジーに手話を教え、そのチンパンジーが手話を使うようになったと発表して一斉を風靡しました。
ほー、サルも言語が使えるようになるのか、ということで。

ガードナー教授の研究はいまでは否定されているとしても、当時はそれなりに価値のある試みでした。
ぼくが問題だと思うのは、「チンパンジーの手話」を無批判に報じたニューヨーク・タイムズの記事です。これではまるで、チンパンジーはほんとに手話を使えるようになるんだという、30年前の理解そのままになってしまう。
くりかえし、亡霊のように現れる「チンパンジーの手話」。それを言語学的には妄想にすぎないと明らかにしてきたのは、アメリカのろう者でした。
ガードナー教授は動物学者であり、言語学者ではなかった。
手話を知らなかったし、彼がチンパンジーに教えたのはアメリカ手話ではなかった。
のちに「チンパンジーの手話」を見たろう者は、それは手話ではないといった。そしてなげきました。ろう者が手話をすると、そんなものは言語ではないといわれる。でもサルがすれば、それこそは人間の言語だといわれる。

サル、ことに霊長類に手話を覚えさせようとする研究はいくつもありました。そういう無謀な研究は、無謀であるがゆえに否定されるべきではない。けれどそうした研究はいつしか「手話はサルでも使える言語」「音声語より未熟な言語」というイメージに結びつきました。そのことに、研究を進める学者はどこまで自覚的だったでしょうか。

未熟な言語というようなものは存在しません。すべては完全な言語か、言語以前のコミュニケーション手段にすぎない。
ところが、手話は未熟な言語、習得の容易な言語という誤ったイメージは、いまもぼくらの社会に色濃く残っています。その例証のひとつがタイムズの記事でした。もしこの記事をろう者が書いたら、まったく別のものになったでしょう。
(2021年10月4日)