コロナ・ワクチンについて、厚労省は「1回目と2回目はおなじワクチンでなければいけない」といっています。
厚労省ホームページは「2回目の接種では、1回目に接種したワクチンと同じ種類のワクチンを接種する必要があります」と明記している。だから現場では混用はありえません。
でも海外はちがいます。
一定の条件下では混用してもかまわない。
実際、ドイツのメルケル首相は1回目はアストラゼネカ社のワクチン、2回目はモデルナ社のワクチンを接種しています(BBC, 22日)。

ワクチンの混用をめぐる議論はイギリスではじまり、ニューヨーク・タイムズなどがくり返し報道してきました(Getting One Vaccine Is Good. How About Mix-and-Match? March 30, 2021, The New York Times など)。
いまではワクチンの混用は欧米の主要国だけでなく、フィンランドから、中国、バーレーンにいたるまで各国で認められ、実施されています。
だのに、どうして日本は同種ワクチンにこだわるのか。
こだわる理由があるからではなく、なぜそうなのかを「考えようとしない」思考風土があるように思います。とくに公的なシステムのなかに。この思考風土、いや思考の不在風土が、硬直したワクチン行政につながっている。
端的にいえば、「まずやってみよう」の欧米、「そんなことして大丈夫か」といってやらない日本、ですね。

こうしたちがいは、「1回接種か、2回接種か」の分岐点でも露呈しています。
コロナに対する免疫力は、1回接種でもある程度つきます。だったら、ワクチンが足りないときは「かぎられた人に2回接種」するより、「その2倍の人に1回接種」した方がいい。社会全体でコロナと戦う効果的な戦略です。そう考えて、イギリスは去年12月「1回接種」に踏みきりました。
ことしになり、ワクチンの供給が間に合うようになって2回目の接種を増やしていった。
「1回接種」戦略で短期間に多くの人にある程度の免疫が付き、イギリスはコロナを食い止めたのだと思います。

そういう決断が、日本にはなかった。
決断以前の「思考」がなかったんだろうと思います。一人ひとりがそれぞれに考える、ということを許さない風土が、日本にはあるんじゃないでしょうか。
(2021年6月24日)