官邸の広報官が7万円の接待を受けた。総務省と放送業者の結びつき。いやしい人たちが集って、何やってんだかと誰もが思ったことでしょう。でもメディアはここでもまた、何が起きたかは伝えるけれど、なぜ起きたかは伝えない。
たまたまぼくは、むかし民間放送の内側にいたのでこの構図がよくわかります。
今回のつまらない話の元凶は、ダメ官僚でもダメ政治家の息子でもない。放送免許です。
ザクザク金が入る打ち出の小槌。民放はいったん放送免許を手にしたらもう手放しません。少なくともぼくがいたころはそうだった。

民間放送とはいいながら、東京では5社の寡占体制。自由競争じゃありません。おたがい似たような番組をつくって電波に乗せれば、コマーシャル料はいくらでも入った。インターネットが台頭するまでは。
21世紀になって、民放は勢いを失った。地方の民放は多くが存亡の危機にさらされています。でもつぶれないのは放送免許があるからです。そして放送免許は自由競争で手にすることはできない。総務省が許認可の権限を握っているのです。
ぼくは放送局にいたころ、よく思いました。トヨタや日産やパナソニックは、きびしい競争を生きのびてきた。でも放送局はそうじゃない。自由競争なんかなかった。

放送局にとってほんとうの意味での競争は、少なくともぼくがいた報道という分野でいえば権力と対峙することでしょう。その競争をすること。放送免許というのは総務省のものではなく、国民のものです。その免許をあずかる放送局で、ぼくらが本当に果たさなければならない役割は政治権力を的確に批判することでした。でも、少なくともぼくがいたころの経営者にはけっして、絶対に、「組織の存亡をかけて権力と対峙する」気迫はなかった。
放送免許、なくすわけにいかないでしょ、と。
そのなれあいのなかで、7万円接待は起きている。
その構図がつづくかぎり、また7万円接待は起きると思います。
放送免許に透明性を。
(2021年3月4日)