また属性ですか

 森会長がやめ、後任も決まらずに組織委員会は混乱しています。
 こんなことのために3兆円も使ってるのか。はあーっ、とため息が出る。やめてほしい。
 朝日新聞しか見ないので、ほかはわからないけど、印象に残っているのは13日朝刊、田中ウルヴェ京さんのコメントでした。

・・・後任は老若男女誰であろうと、なぜその人なのか説明できなければならない。「若い女性」という人選もステレオタイプ・・・

 いいこといってる。
 そう思いながら読み流し、一日たってまた思いました。あれ、すべての核心をつくコメントだったんじゃないか。

 森会長のセクシスト・コメント(ニューヨーク・タイムズ)は論外。
 でも辞任騒動をめぐる政界、スポーツ界の対応は、おなじことをくり返している。
 老害がみっともないから、次は若者か女性で。
 そういう発想自体がステレオタイプだと、田中さんは指摘しています。そういうんじゃなくて、後任の会長はその仕事が務まるかどうか、適任かどうかで判断すべきじゃないか。

 人間を見るとき、ぼくらはできるだけその人の「中味」を見なければならない。
 年齢や国籍、人種や学歴といった「属性」で判断してはならない。
 女性蔑視だとか老害だとかも、そのもとにあるのは既成の概念や価値観にしばられ、人を属性で判断してしまうこと。それはぼく自身もよくやってきたことで、これまでなんども落とし穴にはまりました。そのたびに価値観の変更を迫られてきました。

横浜市、2月13日

 でもね、自分自身を変えるというのは、めんどくさいけど、けっこうおもしろい作業でもあるんです。
 たとえば、ろう者や精神障害者と呼ばれる人びとを「障害」という属性で見ているかぎり、彼らは不幸な人でしかない。ところが彼らのなかに多少とも入ると価値観は反転する。世界がまるでちがって見えてきます。そういう経験は精神のジェットコースターに乗っているような興奮がある。属性ではなく中味。

 後任の会長に若い女性、というのはステレオタイプだと指摘した田中ウルヴェ京さんは、ソウル五輪メダリストでIOCのマーケティング委員。そういう「外」の人だから、今回の醜聞についても的確な指摘ができるんですね。
 といいつつ、ここでもぼくはやっぱり人を「属性」で判断している。
(2021年2月14日)