ことしのアカデミー賞の作品賞は、クロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」でした。
アメリカに多い、住居を持たず車で移動し生活する人びとの物語です。
メインストリームではない話。
ジャオ監督自身もメインストリームではない。中国で生まれ、14歳でイギリスに留学、その後アメリカに行き、33歳で最初につくった映画はネイティブ・アメリカンがテーマでした。
そして今回の映画は車上生活者。
彼女は英紙のインタビューにこう答えています。
「わたしの人生はどこでもずっとアウトサイダーだった。だからわたしは自然とメインストリームではない、周辺で暮らしている人たちに引きつけられてしまう」(Oscars 2021: Chloé Zhao, from ‘outsider’ to Hollywood history-maker. April 26, 2021, BBC)

監督が女性でアジア系だということ、またほかにもマイノリティ、有色人種の受賞者が目立ったことから、ことしのアカデミー賞は多文化、多様性を反映しているといわれます。新聞の映画評も「トランプ時代の分断を終わらせ、共生へと向かわねばならない」意志を感じさせたというけれど(朝日、27日)、そんなふうにいうときれいごとになってしまう気がする。
そこにあるのは、メインストリームっていったい何なのかというという、もっと引いたところからの問いかけだと思います。それはずいぶん危険な問いかけでもある。
だからでしょう。ことしのアカデミー賞のテレビ中継は、去年にもまして視聴率が低かった。
日本でいえば「紅白」のような国民的イベントが、メインストリームのお祭りではなくなろうとしている。そういう方向を自ら選んでいるところに、アカデミー賞の「意志」を感じます。アカデミー賞は、メインストリームと安易な共生はできないと、分断への道を歩みはじめたのかもしれません。

付け加えておくなら、ことしのアカデミー賞はアメリカ人が見なかっただけではありません。中国では誰も見なかったようです。ジャオ監督が過去に中国を批判したので、ノマドランドだけでなくそれ以外も全部含めてアカデミー賞の中継が禁止になったとか。こちらはメインストリームしかない国なんですね。
(2021年4月27日)