女子テニスの世界チャンピオン、ナオミ・オオサカ選手が全仏オープンから撤退しました。
1回戦に勝利したあと、記者会見を拒否してその後の試合を放棄した経過はさまざまに伝えられています。
本人がうつ状態を訴えていたこともあり、メディアはおおむねやむを得ないという論調だったと思います。でも、なんだかよくわからない。何なんだろうなあ、と思っていたら、興味深い論考がニューヨーク・タイムズに載りました(We’re Finally Starting to Revolt Against the Cult of Ambition. By Kelli María Korducki, June 6, 2021, The New York Times)。

ケリー・マリア・コルダッキさんの寄稿は、「野望文化への反乱」というタイトルが付いています。ぼくはそれを「アメリカン・ドリームへの反乱」と読み替えました。ナオミ・オオサカ選手は、アメリカにはびこる成功者へのあこがれ、誰もが富と名声に向かって突き動かされている文化に背を向けたのだと。
それはきっと、本人もそんなこと全然思ってなかったけど、いわれてみればそうかもね、というような顛末だったのではないかな。
コルダッキさんはいいます。
「このテニス・スターの選択は、もうひとつの、より大きな現象の反映でもある」
オオサカ選手は、スター選手の活躍で莫大な金をもうけているテニス業界のいうことを聞くのではなく、自分の健康と日常を優先させた。それは、強いもの、支配するものに働かされるのではなく、自分自身の人生を優先させるという、いまや多くのアメリカ人、とくに女性やマイノリティがはじめたささやかな「反乱」の表れなのだと。

アメリカ社会では、能力主義という美名のもとで女性だって成功できる、といわれつづけてきました。あなたにもアメリカン・ドリームはあると。
「しかしがんばれば平等になるわけではなかった。階級や人種、職業や地域にかかわらず、どこでも女性は家庭で無賃労働と感情労働を負わされてきた。女性ゆえのストレスと低賃金は、コロナ以前から変わることはなかった」
それがコロナで一層明確になった。ことし春、前年にくらべて450万の女性が職を失ったままだ。女性の就業率は33年ぶりの低さを記録している。

ということでコルダッキさんの論は文化論というより社会正義論になってゆくので、ちょっと本筋からそれます。でもオオサカ選手の選択をそういう動きのひとつの表れとして捉えたのは、ぼくには新鮮でした。
日本のメディアにはない視点でもあったし。
(2021年6月10日)