アートという道筋

 掘り出し物がいっぱい出てきました。
 浦河ひがし町診療所・デイケアの芸術作品発表会です。
 スタッフがメンバーに、みなさんが描いたアートを持ち寄って、みんなで鑑賞してみませんかと呼びかけたら、「こんなのでいいのかな」「あんなのもあるよ」と、自薦他薦が驚くほどたくさん集まりました。29日、それをみんなで見て語りあい、楽しむ会が開かれました。

 それぞれ前に出て、自分の描いた絵を見せながら、タイトルや描いた経緯、何を考えていたかを話します。人前で話すのは苦手だからと、話す内容を原稿に書いてきた人もいました。発表を受け、見た人が質問したり感想を述べたりします。ただ絵を見るだけでなく、それにともなう物語も見えてきます。

 作品の多くは鉛筆やパステルで、水彩や貼り絵、コラージュのようなものもあります。モノクロ、カラー、古い作品、最近の作品、それぞれに描く人の特徴が見てとれました。
 描いた時期も、病気がたいへんだったときもあれば、落ち着いてからの作品もある。病気がひどいときは絵なんか描けないだろうと思うと、そうでもないらしく、「頭が混乱するときに描きました」「動揺しながら描いていた」という人もいました。

 感心したのは、作品の多くが意外と思えるほどのおだやかさを伴っていたことです。精神障害者は激しく不安定な心的世界を生きているから、それを反映するんじゃないかと思うとそうじゃない。混乱のなかにも希望を見出そうとしているのでしょうか。いや、「混乱している」というぼくらの捉え方がまちがっているのかもしれない。

 ことに意表を突かれたのは、ひとりの統合失調症の女性が描いた龍の絵です。

 急性期でいちばん症状がひどいとき、いきなり部屋に閉じこもって家族をいっさい寄せつけずにこの絵を描いたそうです。それも部屋の壁紙に。何年もたち、親が記念に壁紙のその部分を切り取って、額に保存したのがこの絵です。

 病気が外見的にもたらす恐怖や混乱、極度の緊張はこの絵からはうかがえない。むしろ龍がサングラスをかけ、花をくわえているところはユーモラスですらある。デイケアルームのみんなを引きつけた筆致でした。

 アートという、ことばとはちがう表現をとおして、ぼくらは人間存在の別のあり方を見いだします。こういう作品を見ると、ことばではなくアートの方が、その人のほんとうの姿を伝えるんじゃないかとすら思ってしまう。
 うまい下手を超え、生きるための手段としてのアートというものがあるのかもしれません。
(2021年11月30日)