26日、デズモンド・ツツ大主教が亡くなりました。
といってもほとんどの人はご存じないでしょう。1990年代、南アフリカの悪名高いアパルトヘイト(白人支配)を非暴力で終わらせた、偉大な指導者です。

(Credit: John Mathew Smith & www.celebrity-photos.com, CC BY-SA 2.0.)
ツツ大主教(ほんとは「元」大主教ですが、「元」なしで呼びます)は1984年にノーベル平和賞を受賞し、平和運動家のイメージが強いかもしれません。でもぼくのなかでは、ノーベル賞だけでは語りつくせない存在です。彼の著書「許しなきところに未来なし」(No Futre Without Forgiveness;本邦未訳)を読んで、アフリカ大陸にこんなすばらしい人がいたのかと深い感銘を受けました。

大主教の最大の業績は、白人が長年にわたり無数の黒人に対して行った虐殺や拷問、暴行や犯罪に「真実和解委員会」で臨んだことでしょう。悪行を重ねた白人に対し、委員会は「真実を述べれば、許す」という驚くべき姿勢を貫きます。そのことによって、南アフリカは流血を避けアパルトヘイトを終わらせることができました。

真の感銘は、「許す」がたんに政治的な計算や宗教的な教義から出たものではなかったことです。そこにあったのは何か、ツツ大主教は書いています。
・・・恩赦はアフリカの世界観の中心にある概念です。それを私たちは「ウブンツ ubuntu」と呼んでいる。それが多くの人に、懲罰よりは許しを、報復よりは寛大さを選ばせるのです。
ウブンツは西欧のことばにはしにくい。けれど人間の本質をさしています。たとえば人をとてもほめたいとき「ウブンツがある」という。人に対して気前がいい、もてなしのこころがある、親切で共感力があり、持っているものは分け与える、といったことなのです・・・
アフリカに住む人びとにはそういう世界観が伝わっている。その世界観で真実和解委員会をつくり、憎しみの連鎖を断ち切ったのです。
西欧的な妥協や駆けひきではなく、責任と処断ではなく、因果応報や勧善懲悪ともちがう、ウブンツ。そんな深い知恵、徳、人を捉えるまなざしがアフリカにあったとは。それを人の本質と見すえる文化があったとは(そのことに驚くこと自体が、アフリカへの偏見の反映ですが)。

(Credit: Commonwealth Secretariat, CC BY-NC 2.0.)
ウブンツという概念、そのバリエーションは、“未開社会”に広く維持されているのではないでしょうか。それが人の本質、人のあり方を示しているなら、ぼくらはもっとウブンツと、ウブンツ的なもの、さらには”未開社会”のあり方に学ぶべきでしょう。
ツツ大主教、享年90の訃報に接し思いました。
(2021年12月28日)