グレタ・トゥーンベリさんがもみくちゃにされています。
これをスコットランドの新聞はたちまち「グレタマニア」と名づけました。グレタさんをめぐる狂騒でしょうか。

(Credit: European Parliament, CC BY 2.0.)
気候変動に対し、無策なおとなたちに怒りをぶつけるスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(18歳)は、いまや地球の有名人です。そのグレタさんが、国連の気候変動会議が開かれるスコットランドのグラスゴーにやってきました。群衆に囲まれて立ち往生し、警官に助け出されたそうです。物見高い人は洋の東西、どこにでもいるんですね(‘Greta Mania’ hits Glasgow as Swedish teen is mobbed upon arrival for COP26 summit. October 30, 2021, The Washington Post)。
日本ではほとんど報道されていないけれど、グラスゴーでは31日から大事な会議が開かれています。
COP26と呼ばれる、気候変動対策を協議する国連の会議です。
200の国から100人以上の首相や大統領、代表団2万5千人が集まり、温暖化対策を議論する。この結果次第で、今世紀半ばまでに地球の温度上昇を1.5度に食いとめるという目標が達成できるかどうかが左右されます。
豪雨や干ばつ、熱波などの異常気象がとめどなく広がるか、少しでも抑えられるか、人類存続の瀬戸際といってもおおげさではないでしょう。

でもこういう、あまりにも巨大すぎて、あまりにも複雑すぎる問題をどう考えればいいか、ぼくらはしばしば途方にくれます。
そういうときに、グレタさんのイメージがひとつの救いになる。
あの顔を思い出しながら、この人についていけばまちがいないんじゃないか、そんなふうに受けとめる。でももしかしたら彼女もまちがっているかもしれない、と思い返してみる。そしてまたあの顔を思い出しながら、彼女がいっていることはどういうことか、ぼく自身の頭で考えてみる。そういうことのくり返し。彼女を“メディア”として。

(Credit: Anthony Quintano, CC BY 2.0.)
グレタさんは、自身の“怒り”についてBBCにいっています。
「政府の無策に対して、ときには怒りが正しい反応になります」「他の人を傷つけないかぎり、誰かを怒らせるような活動も必要なときがある」「学校でのストライキも、そうしなければものごとは動かないときがあるから」
そういう断片的なことばを聞きながら、ぼくはたぶんこの人は信用できると思うようになります。この顔を手がかりに、その先で何をどう考えればいいかを考えるようになります。
(2021年11月1日)