コロナ疲れを脱して

「うっとおしいよね。いつまでつづけるんだろ、これ」
 ひがし町診療所デイケアのメンバーが、マスクをしなければいけないことをなげいていました。
 そういえる人はまだいい。ほとんどの人は気持ちを吐き出すこともなく、黙々とマスクをしています。
 他人の目を気にしてマスクしつづける日々。がまんしていることにすら気づかない日々は、深い疲労をもたらします。それをことばにできないとき、救いようのない無気力が芽ばえてはいないでしょうか。

 そんなことを考えているとき、「コロナ下の暮らしをもっといい形に変えよう」というニューヨーク・タイムズの社説を読んで、そのとおりだなあと共鳴しました(We Can Live Better Lives While Being Smart About Covid. Dec. 11, 2021, The New York Times)。
 なかでもうなずいたのが、1)学校やレストランにあるプラスチックの仕切りをなくす、2)学校でのマスクはやめる、という提案です。

 1)の、プラスチックの仕切りはやめたほうがいいということは、科学誌「サイエンス」6月4日号が報じていると、このブログでも書きました(8月22日)。それをタイムズ紙は再度強調してこう書いています。

 ・・・多くの学校は換気装置の改善ではなく、効果のない策をつづけている。プラスチックの仕切りは換気を妨げ、むしろ感染を進める場合すらある。行政や学校当局は協力してこれを変えなければならない。換気の改善はコロナ以外の、インフルエンザなども防ぐ効果があるのだから・・・

 コロナ対策の要は「換気」。プラスチックの仕切りは効果がないばかりか、ときには空気の流れを止め、むしろ感染を進める効果すらあるということですね。

 またマスクについては、ユタ州での例をあげています。学校で子どもたちはマスクをしない、けれど地域の感染状況に応じてマスク着用をする、という方式です。これがかなりうまくいっているので、ほかの州も見習ったらどうかといっています。

 感染がないところでいつまでもマスクをしているのは、やっぱりおかしい。
 それは誰もが「考える」ということをしなくなったためではないか。でも、だから日本のコロナ死亡者は極めて少ないのでしょうか。
 マスクはイヤだといって殺人事件まで起こるアメリカは異常だけれど、マスクがイヤだという声がない社会もまた異常ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
(2021年12月13日)