サンダンスのCODA

 ここでもまたコーダ。CODA、CODA。
 2月に行われたアメリカのサンダンス映画祭で、シアン・ヘダー監督の「CODA」がグランプリ、監督賞、観客賞のトリプル受賞を果たしました。
 コーダ・ブームなんていったらいいすぎかもしれないけど、コーダ(Children Of Deaf Adults)、ろう者の両親のもとに生まれた聴者の子は、いまや映画や文学の先鋭なテーマです。このサイトでもコーダについてはすでに3回ふれました(11月27日、12月1日、1月9日)。

 ヘダー監督の劇映画CODAは、マサチューセッツ州グロスターの17歳の女子高生、漁師の家に育ったルビー・ロッシの物語です。ロッシ一家は両親と兄がろう者、ルビーはただひとりの聴者。その彼女が、きびしい漁業と強い絆で結ばれた家族のなかで、時代の波とろうと聴を隔てる文化のちがいに翻弄されながら、子どもからおとなへと変わる姿がユーモアと情感とともに描かれています。

映画の舞台となったグロスターの港
(マサチューセッツ州、iStock)

 とまあ、見たようなことを書きましたが、もちろんこの映画はまだ日本では未公開。ぼくが多少ともわかった気になれたのは、へダー監督自身が語る予告編を見たからでした。映画のなかでルビーの母親役を演じたろう女優、マレー・マトリンさんのフェイスブックのサイトにありました。
https://www.facebook.com/marleematlin/videos/854343078469421

IMDbサイトから

 ワシントン・ポスト紙の映画担当記者、アン・ホナデイさんの評(2月5日)がよかった。CODAを見て、これはいいと思った、それで2階にいる夫に「いまの映画、よかったよ」と叫んだら、夫が「声でわかるよ。中身聞かなくても」といったそうです。映画っていいなあとしみじみ思わせてくれる、そういう映画なんでしょう。(ことしのサンダンス映画祭はオンラインでの開催、映画担当記者はみな自宅で作品を見ています)

 ヘダーさんが女性監督であり、ろうというマイノリティの文化をテーマにしていることが、サンダンスのグランプリ受賞にあたっては重要な要素だったはずです。たぶん来月のアカデミー賞でもこの流れは変わらない。

 それって、マイノリティのえこひいきじゃないのか。
 これについて話すと長くなりますが、ぼく自身は意図してマイノリティを重視することは少なくともいまは必要だと思っています。弊害より得るものが大きい。ヘダーさんや韓国の女性映画監督でコーダのイギル・ボラさんの作品は、この世界はぼくらが見ているよりもっとずっと複雑でゆたかなものだと伝えてくれます。
 誰かを押しのけて受賞したというより、別な新しい地平をひらくという形で。
(2021年3月31日)