女性はリベラル化し、男性は保守化している。
アメリカの社会ではこんな傾向が見られると、さまざまな世論調査の結果が示しています(The Gender Gap Is Taking Us to Unexpected Places. Jan. 12, 2022, The New York Times)。
調査のひとつは、カリフォルニア大学高等教育研究所(HERI)が行なったものでした。1966年から行ってきた調査で、HERIは大学に入る新入生に「自分はリベラルだと思うか」と聞いています。
かつて新入生は「リベラルな男性、保守的な女性」という傾向が顕著でした。それが80年代に逆転します。2016年は全国の新入生13万人あまりの調査で、「自分はリベラル」と思っている男性が29%に対し、女性は41%でした。
アメリカの若者は、男がより現状維持の傾向を強め、女がさまざまな変革を求めるようになった、ということでしょうか。

この傾向は若者だけにとどまりません。ナイト財団というところが2017年、おとな3千人を対象に、「多様でインクルーシブな社会と、言論の自由を守る社会と、どちらを選びますか」を聞きました。ここでいう「言論の自由」はちょっとまぎらわしいけれど、白人至上主義も主張できるマッチョな自由、というニュアンスがあります。
男性は61対39で「言論」を選び、女性は64対35で「多様」を選びました。
「戦うぞ」の男、「仲よくしなきゃ」の女、といったら単純化しすぎでしょうか。

ナイト財団はさらに、「ヘイトスピーチは言論の自由の一部か」と聞いています。イエスと答える男性が43%、ノーが56%に対して、女性はイエス29%、ノー71%。女性がずっとヘイトスピーチに否定的で、明らかなジェンダーギャップが見られました。
ヘイトスピーチを「表現と見るか、暴力と見るか」のちがいでしょう。
長文の記事のごく一部ですが、読みながらこんなことを思いました。
この半世紀、女性は曲がりなりにも社会進出を果たしてきた。それはアメリカ社会に深く大きな変動をもたらしたけれど、そこについていけない人びとの心情が「保守化する男、リベラル化する女」に反映されているのではないか。

社会の中心にいると思っていたのが、気づいたらもう中心ではない。それが男性一般に広く浸透した気分で、そのために防衛的になっているのだとしたら、逆に考えてみるべきでしょう。「中心ではない」のは、これまで女性がおかれてきた境遇だったと。そこに疎外感を感じるなら、それこそは女性の感じてきたものだったと。
鍵となるのは同情ではなく共感の力です。中心と周縁化された人びとのあいだには、つねにこの力を働かせる作業が必要なのです。
(2022年1月15日)