スイスのオオカミ

「オオカミが来た!」は、危険を知らせる叫びです。
 でも30年前のスイスで、それは環境活動家のよろこびの声でした。100年も前に絶滅したオオカミが、イタリアから1頭、アルプスを越えてスイスにやってきたのです。それが確認されたとき、多くの人がなんてすばらしい光景かとよろこんだ。

 ところがその1頭が、いまでは8つの群れ、100頭ほどに増えている。住民の一部から駆除の申し立てが出るまでになったというなげかわしい話を、BBCが伝えました(Switzerland’s wolves get too close for comfort. December 24, 2021, BBC)。

 いちばん神経質なのは牧畜業者です。12月、ベルンに近い農家では35頭の羊のうち7頭がオオカミに殺されました。喉を噛み切られていたから、電気柵を飛び越えてきたオオカミのしわざでしょう。
 19世紀までは羊の群れには羊飼いがいて、こんな被害は起きなかった。いまでは牧羊犬もいないので、オオカミは難なく侵入できたようです。

 むかしだったら、そんなオオカミは見つけ次第殺していました。しかしいまは法律で守られている。オオカミを殺せるのは、人や家畜に脅威となっている場合にかぎられ、実際に殺すには1件ずつ長ったらしい個別の審査がある。業を煮やした農家は去年、もっとオオカミが容易に駆除できるようにすべきだと、住民投票に訴えました。でも自然愛護の伝統が強いスイスで、訴えは否決されてしまった。

 しかたがないから、オオカミが出没する地域の住民は銃でゴム弾を撃ち、オオカミを追い散らすことにしているそうです。でも通学路でオオカミの群れが目撃された例もあり、子どもたちにはオオカミを見たら報告するようにといってある。危ないと思ったら大声で叫ぶようにとも。実際、大声でオオカミを追い払ったおとながいたそうです。

 環境団体の専門家はいいます。オオカミが人間に近づいてくるのは襲うためではない、若いオオカミは好奇心が強く、人間に近づくこともあるが危険なことはめったにない。実際、スイスでもスペインでも近年オオカミは増えつづけているけれど、人を襲った記録はありません。

 BBCの最後のコメントに笑いました。
 ヨーロッパの多くの都市では、キツネが町中を歩きまわるのを許している。でもそれがオオカミだったら? たぶんノーだろう。
 ぼくも北海道にいると町中でよくキツネを見かけます。それがオオカミだったらどうだろう。まずはじっと見つめて、至福のときを楽しむかもしれません。
(2021年12月31日)