ウクライナのゼレンスキー大統領がキーウの病院に行き、負傷兵を慰問しました。(キーウはキエフのことです。ウクライナの首都はロシア語で発音すると「キエフ」だけれど、ウクライナ語では「キーウ」なので、ぼくもキーウと呼ぶことにします)
本人のフェイスブックにある病院訪問の映像は、プロパガンダなのでそのまま信じてはいけないけれど、戦争の一方の当事者が何をしているか、どんな人かがわかります。

(映像はすべて本人の Facebook から)
ゼレンスキー大統領はキーウの町を歩いて病院に行きました。病室に入って負傷兵を見て回り、軽い会話を交わしながら何人かに勲章を贈呈しています。勲章は病院のスタッフにも贈られました。患者のひとりといっしょにスマホの自撮りにも応じています。そうした動きのすべてに、権威主義ではない気軽さとなごやかさがありました。

病院訪問のあとで、大統領は国民に語りかけています。
・・・私はきょう負傷兵を訪問し、彼らの勇気をたたえ、回復をこころから祈った・・・
そして大統領は、この病院では負傷したロシア兵も治療しているといいました。
・・・ロシア兵はウクライナ兵とおなじ病棟にいて、おなじ医者からおなじ治療を受けている。彼がわれわれに、ウクライナに何をしたかにもかかわらず。彼は野蛮人ではない・・・
なかなかいい話です。
でも当のロシア兵の映像はなく、どこまでほんとうの話かはわからない。
それに野蛮人という言い方にちょっと引っかかるところもある。
と、思って見ていたら、ゼレンスキー大統領はつづけてこういいました。
「われわれは、みんなが人間でいるためにこの戦争を戦わなければならない」

人間でいるために戦う。
ということは、その直前に出てきた「野蛮人」は、文明のルールに従わない人、常軌を逸した独裁者とその取り巻き、さらにはそういう独裁者を生み出す精神風土をさすのでしょう。
われわれは無抵抗な市民を爆撃し、殺しつづける野蛮人ではない。人間でいつづけるために戦っているのだ。
マッチョな英雄主義やただの戦意高揚とは異質なことばです。
ゼレンスキー大統領は、この戦争をたんに領土を争う戦いではない、人間のあり方をめぐる戦いだといっている。ただのプロパガンダを超えた、質の高いプロパガンダです。
プーチン大統領はこれに対抗できることばを持っていない。
ぼくはそんなふうに思いました。
(2022年3月15日)