認知症を解明するため、タクシーの運転手を調べる。こんな研究が進んでいます。
研究対象になっているのは、かの有名なロンドンのタクシーの、そのなかでも最上級の「グリーン・バッジ」を持つドライバーたちです。彼らの持つ特異な能力が、認知症の研究に役立つのではないかというのです(London cabbies’ brains are being studied for their navigating skills. It could help Alzheimer’s research. November 1, 2021, The Washington Post)。

ロンドンのタクシーは、世界でいちばん質が高いといわれます。運転手は親切で礼儀正しく英語もちゃんと通じる。市内の地理に精通している。ことにグリーン・バッジを持つ優良ドライバーは、頭のなかに全ロンドンの地図が焼きついているかのようです。駅や橋など、10万もある目印の場所を知っていて、2万6千ある通りをすべて覚えている。
そうなるための試験はきわめてむずかしい。
グリーン・バッジを取りたい人は、毎日何時間もかけて膨大な数の場所や通りを暗記し、しかもそれらの複雑きわまる位置関係をきちんと覚えこまなければならない。何段階もの試験に合格するには3年から4年はかかる。こんなきびしい記憶力のテストは、ほかにないといわれます。

そうして合格したドライバーの記憶力こそが、脳科学者の調べたいことでした。
「記憶の達人」の脳を調べれば、記憶と脳のしくみがより詳しくわかる。それは認知症の人が記憶をなくすしくみについても、解明の手がかりになるかもしれない。そう考えて彼らの脳を調べているのは、ロンドン大学の認知科学者、ヒューゴ・スピアーズ教授です。
「タクシー脳」と名づけられた研究プロジェクで、教授はグリーン・バッジを持つ優良運転手30人の脳をMRIで調べることにしました。「どこからどこまで行ってくれ」といわれた運転手が、即座に2つの地点のあいだのルートを思い描く、そのとき脳がどう働くかを可視化する。

焦点は脳のなかの「海馬」です。ここは記憶をつかさどるところで、認知症の人はこの部分が弱くなる。けれどタクシー運転手の場合は逆に、年とともに強くなるらしい。そりゃあそうでしょう。毎日何十人もお客を乗せ、乗せた瞬間に複雑な移動経路をイメージして最適解を得る、なんてことを長年くり返していたら鍛えられるわけです。人間の脳の使い方の、ひとつの極限ですね。
そこを調べることで、認知症の理解が進めばと思います。
余談ですが、鍛えられた脳を持つロンドンのタクシー運転手の年収は600万円から1100万円にもなるとか。自分の仕事に誇りを持っている人たちでしょうね。
(2021年11月4日)