タコの運命が変わろうとしています。
海の底でタコツボに引きこもり、孤独を満喫していたタコが、こころない人間に引きこもりを破られようとしている。「こもるな、仲間といっしょに暮らせ」と。集団生活はタコにとって地獄です。イジメです。なんでこんな虐待を受けるのか、タコが苦悩している、らしい。
タコの苦難は、スペインの企業、ヌエバ・ペスカノバ(NP)がタコの養殖に踏みきったことからはじまっています。
養殖ができれば、安くてうまいタコが食べられる、と期待するのは人間の勝手な思いこみ。タコから見れば、自由人から奴隷になる悲惨な人生です。高度な知能を持つタコにとって、養殖されるなんて耐えがたい苦痛かもしれません。そんなことやっていいのと、BBCがちょっと皮肉をこめて伝えています(The world’s first octopus farm – should it go ahead? December 19, 2021, BBC)。

タコを養殖していいかどうか。
これはタコ業界だけでなく、水産業全般、さらには生物学者や動物保護運動家、倫理哲学者もかかわる深遠な論争かもしれません。
核心にあるのは、タコは苦痛を感じるか、という認識論の問題でしょう。
タコの養殖はできるだけタコに苦痛のない、人道的な方法ですべきだというのが慎重派の議論です。タコが孤独を好むことを尊重し、多くのタコをいっしょにするのは強制収容所で虐待するのとおなじ強いストレスになる、と理解しなければならない。

一方、養殖推進派は、そんなことできるわけないというでしょう。タコを買って食べる人たちがいるんだから、当然の経済活動として養殖は進める。でもBBCのたび重なる申込みにもかかわらず、スペインの企業は取材を拒否、養殖の実態を明らかにしていない。それは不用意にタコ論争に巻き込まれるのがどんなに危険かを熟知しているからでしょう。
タイやマグロの養殖では、こんな論争は起きなかった。タコが論争になるのは、海洋生物学者だけでなく多くの人がタコには高度な知能があると思っているからです。
ブリストル水族館のタコ担当員、ステイシー・トンキンさんはいっています。
「目ですね。タコの目をじっと見るでしょ。そうするとタコもこっちを見つめるんです。そこには絶対、何かがある」

世界一タコを食べる日本人が、こういう議論を理解するのはむずかしい。でもひとつはっきりしていることがあります。養殖がはじまったのはタコが獲れなくなったから。タコなんて寿司屋の安いネタの代表だったのに、そういう時代はとっくに終わってるんですね。
(2021年12月22日)