テレビ番組の裏で

 おもしろいエピソード、満載。
 そういって、言語学者の岡典栄さんが本を送ってくれました。
『手話の学校と難聴のディレクター』(ちくま新書)です。「ETV特集「静かでにぎやかな世界」制作日誌」とサブタイトルが付いています。
 NHKディレクターで難聴の長嶋愛さんが、東京都品川区の明晴学園で、ろうの子どもたちを取材、放送するまでを書いた本です。

 明晴学園は、かつてぼくも校長を勤めたことのある私立ろう学校。本に書かれている子どもたちは顔なじみも多いので、こんなに大きくなったんだと、まさに満載のエピソードを楽しく読みました。

 番組をつくった長嶋さんは、子どものころは多少聞こえていたのが、いまはほとんど聴力を失っているようです。でも手話はできない。そういう人が、どうやって手話を使うろうの子どもたちを取材したのか。そのときどきの苦労と悩みが率直に描かれています。

 長嶋さんは、手話の子どもが「ろう者の自分が好き」というのを聞いて考えこみます。それは何なのかと。そして長嶋さん自身、自分はろうでも聴でもない、「自分は難聴者だ」というアイデンティティを持っていることに気づく。その過程は本書の大事な部分でしょう。
 放送したETV特集が国内外で高い評価を得たのは、あのはつらつとした“手話の子どもたち”がいたから。でも、彼らに引きこまれた長嶋さんがいなければ番組はできなかったでしょう。

明晴学園小学部(2012年)

 ぼくはひとつ、ため息をついたところがあります。
 番組のなかで、ろうの母親に女の子が生まれ、ろうだとわかって母親が「最高にうれしかった」と思い返す場面があります。ここは「反響の多かった」ところだと長嶋さんは書いていました。
 そうか、まだそうなのか。
 ろうの親が、子どももろうと知ってよろこぶ。そのことに驚く聴者社会。

 少なくとも1990年代にはすでに、ろう者のなかからそういう声が聞こえています。ろうの子が生まれてうれしい。でもそれはあまりに小さい声なので、そして聞こえないことは不幸だという聴者の思いがあまりにも強いので、ほとんど誰にも聞こえなかった。
 ろう者の声は二重の意味で聴者に届かない。
 小さいから、手話だから。
 ろう者が誰であるかを、聴者の大部分はいまなお知らないのです。
(2021年1月28日)