コロナにかんして、にわかに「ブースター」議論がもりあがっています。
ブースターはワクチンの追加接種のことで、3回目の接種のことです。
コロナ・ワクチンは、接種してから半年もすると効果が低下すること、そしてまたコロナ・ウィルスのデルタ変異株に対して、いまのワクチンは十分効力を発揮できないこと、などから追加接種の必要性が高まっています。
アメリカ政府は、9月20日から広く追加接種をはじめると決めました。
アメリカより半年遅れている日本でも、いずれこの議論がはじまるでしょう。
追加接種には、当然という受け止め方とともに批判的な意見も出ています(Covid isn’t going away. August 19, 2021, The New York Times)。
その反対論が、なかなか興味深い。

先進国だけがワクチンの接種を進めていることには、以前から倫理的な反対がありました。先進国は途上国とワクチンを平等に分けあうべきだという主張です。
この主張に説得力があるのは、かりに先進国でコロナが減っても、途上国でコロナが広がっているかぎり、つねに新しい変異株が出現する可能性があるからです。強力な変異株が現れれば、コロナとの戦いはいつまたふりだしにもどってもおかしくない。
去年秋に出現したデルタ変異株は、そのような状況のもとで生まれました。
追加接種を進めるより、ワクチンを広く薄く世界に広めたほうがいいと、追加接種に反対する人たちはいいます。

これを補強する、より積極的な議論があります。バイデン政権のコロナ対策にかかわってきたセリーヌ・ガウンダー博士は、基礎疾患がある人には追加接種も必要だろうけれど、一般の人びとにそこまですることはない、といいます。
「コロナにかかり、寝込むことはあっても入院しなくてすむならそれでいいではないですか」
その程度の事態を避けるためにブースターだなんて、必要ないでしょう。
「それより、世界中どこでも誰でもワクチンを受ける。その方が全体としてより安全になるんです」
ワクチンは受ける。それは重症化しないため。自分は「ワクチンは受けたけれどコロナにかかる」ということはあってもいい。
そういう考え方があるということです。
ぼくはきわめて理にかなった主張だと思います。だとするなら、追加接種まで受けることはないかという気もしてきました。
いまのワクチンが、重症化をかなりの程度まで防いでくれるかぎりは。
(2021年8月20日)