久しぶりに、読んで楽しい本に遭遇しました。
「清少納言を求めて、フィンランドから京都へ」。フィンランド人のミア・カンキマキさんの著書です。
清少納言の「枕草子」に魂を奪われ、この人に会わなければならないと思いつめたミアさんが、仕事も生活も投げうって京都に移住した話です。

(ミア・カンキマキ著、末延弘子訳、草思社)
ミアさんは学者ではなく日本語もできない。「人生に飽きてしまった」ひとりの平凡な女性会社員にすぎなかった。それが清少納言に首ったけになったのは、翻訳で読んだ枕草子が千年のときを超え、言語と文化の壁を超えて語りかけてきたから。枕草子は、この自分のために書かれた本だと思いつめたからです。
なんと楽しい思いこみか。
この本で、ミアさんは清少納言を、セイと親しみをこめて呼んでいます。
・・・セイ、この町に、これらの山々に挟まれた町に、この日没、山間に整然とある喧騒と静寂の町、神社の赤い鳥居、それを守っている狐たち――ここにあなたはいた・・・

セイと対話しながら、その痕跡を求め、京都御所、神社、図書館や博物館を歩く。ミアさんの本は随筆として読むこともできるし、平安の文学と文化を読み解く歴史紀行として読むこともできます。
おもしろいのは、ミアさんが平安時代のもっともよく知られた女性作家、紫式部にくらべて、セイが顧みられていないと不満をつのらせているところ。こんな記述もありました。
・・・ヴァージニア・ウルフが、紫式部について、『ヴォーグ』に。
刺激的な連想の繋がり。そこから湧くイメージ。ここに、この三つの言葉に女性の人生のすべてが凝縮されている。
セイ、できるならあなたの名前を紫式部の名前と取り替えたい――あなたを読めば、ヴァージニア・ウルフは絶対にもっと興奮していたはず!・・・
これは「大いなるフェミニスト」のヴァージニア・ウルフが、1925年、「源氏物語」の英訳を称賛する書評を「ヴォーグ」誌に載せたことを指しています。ここでミアさんは、あの大作家が千年前の日本の女性文学を見出したと興奮したわけですが、もし彼女が「源氏物語」ではなく「枕草子」を読んでいたら、もっと興奮しただろうに、とひどく残念がっています。
うーむ、ここまで入れこんで読んでくれる人がいるとは。まるでファンに追い回されるアイドルのようで、セイも悪い気はしないでしょうね。
ぼく自身はセイもだけれど、ミアさんの人柄にも深くひきつけられました。
(2021年10月19日)