元旦のお祝いで、南アフリカのワインを開けました。
アスリナという赤ワインです。つくったのはヌツィキ・ビエラさん(42歳)、南アフリカで最初の黒人女性のワイン生産者です。
このワイン、ぼくはとても気に入っているのですが、それはワインのテーストとともにビエラさんの物語に強く引かれたからです。
きっかけは、10年前のニューヨーク・タイムズの記事でした (A Vintner’s Journey of Chance. Sep. 25, 2011, The New York Times)。

この記事によると、ビエラさんは大学に入って、たまたまワイン醸造学の奨学金をもらうことになりました。南アフリカのごく一般的な黒人の家に生まれた彼女は、川の水をくみ、11キロの道を歩いて燃料の薪をひろう毎日を過ごしたので、大学に行くまでワインなんて聞いたことも見たこともなかった。最初にワインを試飲したとき、なんてひどい飲み物かと思ったそうです。
でもすぐ、「ワインの味に恋する」ようになった。

ワイン・メーカーに就職し、最初につくった赤ワインがミケランジェロ賞という有名な賞を獲得するなど、めきめきと頭角を現します。黒人で、女性で、しかも生まれ育った環境にまったくワインがなかったという幾重ものハンディを乗りこえ、ビエラさんは南アフリカ有数のワイン生産者になりました。
10年前にこの記事が出たとき、ぼくは彼女のワインを探したけれど見つけることができなかった。
ところが去年6月、またニューヨーク・タイムに記事が出たのです。こんどはワイン専門のアシモフ記者が、ビエラさんのワインを称賛する記事でした(Black Wine Professionals Demand to Be Seen. June 29, 2020, The New York Times)。

ここでようやく、ぼくはビエラさんのつくるワインが「アスリナ」というブランド名だと知りました。日本でも愛媛県の「アリスタ・木曽」という会社が輸入しているとわかったので、そこから取り寄せました。
飲むと、たしかにいいワインです。複雑な香りが重なって、濃いのに堅くない。春浅い日の湿った土の香りのような。力よりはやさしさの飲み心地。先入観にとらわれているかもしれないけれど、アフリカの、それも南部にいる人がつくったワインです。

さて、ぼくにとって彼女の物語がはじまるのはここからです。
タイムズの記事は伝えています。彼女は、自分のワインを語る「ことば」を探し求めてきたのだと。
2011年の記事のなかでビエラさんはいっています。
ワインを表現するとき、専門家はよく「カシスの香りがする」とか「トリュフを思わせる」などと表現するけれど、私ならたとえば「牛糞」という。
ビエラさんがいいたいのは、私はトリュフとともに育ったのではない、私たちの生活は牛の糞とともにあった、私がいま味わったワインに直感するのは、トリュフよりは牛糞の、あの香りなのだということです。
誤解なきよう。牛の糞はけっして「不浄物」ではありません。多くの途上国で、牛糞は生活必需品です。ぼくはインドで子どもたちが牛糞を拾い集める姿をよく見ました。乾かせばすぐれた燃料になり、塗れば家の壁になる。ビエラさんにとって牛糞の香りは、日本人がヌカミソの香りを想起するようなものでしょう。

自分のワインを、自分のことばで語る。
ビエラさんにはそれが当然のことで、そうでないと納得できない。
そういう人がつくったワインを、ぼくはちょっと割高でも飲みたいと思う。
さすがにビエラさんは、最近の2020年のインタビューでは牛糞の代わりに発酵ミルクの例を出しています。西欧の消費者をあまりびっくりさせたくなかったのでしょう。でもぼくは牛糞のたとえで、あ、この人はほんとにワインを自分のものにしている、楽しさを追い求めているんだと納得できました。
ワインとその文化は西欧のことばで語られてきました。
でも南アフリカのワインは、南アフリカのことばで語られるべきでしょう。そうすれば地元の人びとにも受け入れられる。そしてそれがビエラさんの願いでもある。
彼女は、ワインを飲む人の顔を見るのが好きだといいます。
いいワインを飲んで、ほころぶ顔。ヨーロッパ人でも日本人でもいいけれど、やっぱり南アフリカの人が顔をほころばせるのを見たい。ビエラさんはそう思っているようです。
(ヌツィキ・ビエラさんの写真はアスリナのウェブサイトから了解を得て使用しました)
(2021年1月11日)