ちょうど1年前のきょう、ひとりの女性が姿を消しました。
彼女がどこに行ったのか、どうしているか、なぜいなくなったのか、何もわからないままです。
姿を消す直前、浦河ひがし町診療所の待合室にいた彼女は、能面のように表情がありませんでした。ぼくは声をかけることができなかった。そのことをいまは悔やんでいます。

彼女はかつて調子を崩したとき、苦しくてたまらず「死にたいというより自分を消したかった」とふり返ったことがあります。ずっと笑顔で働きつづけ、みんなに頼りにされていたのに、2年ほど前からまた調子を崩していました。
いなくなる直前に自殺を図り、未遂に終わっています。
そのときのケガが治り、これで立ち直るかと思ったところで姿が消えました。
ほんとに自分を消したのです。
たくさんの人が何週間も探しました。浦河だけでなく近隣の町も、海も山も、考えられるあらゆるところを。でも何も見つからず、彼女はいまだに生きているかどうかもわかりません。
いまから思えば、「自分を消したい」と語った彼女のことばは、けっして探さないでくれというメッセージが込められていたのでしょう。

いちばん憔悴しているのは両親です。
死んだわけではない。けれどどこにもいない。
結末がないので、悼むことも悲しむこともできない。打ちひしがれ、ひがし町診療所の外来にかかるようになりました。
親だけではありません。近くで彼女を見ていた人も、捜索に加わった人も、その後何人もが調子を崩し、精神科に入院する人も出てきました。まるで不安が感染するかのように。
浦河の人びとは、精神障害のどんな過酷な状況もそのほとんどをふり返って笑うことができる。そういう文化をつくってきました。でもこの「結末がない」事態は、笑うことができない。そして笑うことができないとき、人は語ることができないときとおなじように、精神の調子を崩すのではないでしょうか。
1年たって、そんなことが見えてきました。

戦争や災害で行方不明になった人の研究をしてきたアメリカの社会学者は、「結末がない」事態に巻きこまれた人は、不在の存在、あるいは存在の不在という両義性を生きなければならないといっています。「いないけど、いる」「いるけど、いない」。この両義性に、ぼくらは年月をかけて少しずつなじんでゆくしかありません。
(2021年12月25日)