知り合いのひとりが北海道で活動しています。
子どもたちの、学校外での野外活動を支援しているらしい。その活動にアイヌ語の名前をつけていました。本人も子どもたちもアイヌとは関係ないけれど、ここは北海道だから、と。ウポポイ(みんなで歌うこと)だかなんだか、そんなふうな名前だったと思います。
そのとき感じた違和感はなんだったのか。それがわかってきました。
アメリカの各地で、先住民の名前を付けたり、彼らの文化をマスコットにするのはやめようという動きが進んでいます。
たとえば白人の子どもたちのスポーツチームが「インディアンズ」を名乗ったり、先住民の羽飾りを学校のシンボルやマスコットにしているけれど、それはやめようということです。

有名なのはプロ・フットボールの「ワシントン・レッドスキンズ」が2020年、「ワシントン・フットボール・チーム」に改名したことでしょう。レッドスキンズは先住民の別名です。改名すべきだという論争が起きたのは、ぼくがワシントンで仕事をしていた1990年代はじめなので、30年たってようやく先住民の希望が通ったことになる。
それだけ抵抗も強かったということです。
5日のワシントン・ポスト紙は、ニューヨーク州ケンブリッジという小さな町で起きたことを伝えています(Senate Republicans can learn a lesson in courage from a New York school board. July 5, 2021, The Washington Post)。

この町の教育委員会が、町内の学校では「インディアンのニックネームやマスコットを使わない」と決議したのです。
全国ニュースになるネタではないけれど、これが記事になったのは、住民のほとんどが白人で、そのほとんどが「いいじゃないの、子どもがインディアンズを名乗ったって」と反対しているにもかかわらず、紆余曲折をへて教育委員会が「先住民のいうことを聞こう」と決めたからです。
当の先住民のひとりは、町への要望書でこういっています。
「先住民をマスコットにするのは侮蔑であり、極端に弱い立場のわれわれを戯画化するものです・・・それは先住民を過去の人、もう存在しない人のように扱っている。消去、抹殺なのです」

たとえば北海道の町のカフェで、飲み屋で、店の名前がアイヌ語ということがあるかもしれません。ぼくらはそれがアイヌ語と気づかないかもしれない。でもそのことで、もしも誰かが傷つくとしたら、傷つかないまでも自分たちが「消されている」という思いを抱かせるなら、ぼくはやはりそこに違和感を覚えるべきだろうと思います。
(2021年7月6日)