ズームからリアルの職場へ。
そういう動きが進むアメリカで、それにしても仕事ってなんだろう、と考える魅力的なエッセイがウェブサイトに載っています。穏やかな語り口の、でも過激な寄稿のポイントを紹介しましょう(The Future of Work Should Mean Working Less. By Jonathan Malesic. Sep. 24, 2021, The New York Times)。

書いたのはジョナサン・マレシック博士。宗教学者のライター、寿司職人、かつ駐車場管理人だそうです。プロフィールからして世捨て人風ですね。
博士は、私たちはただ仕事をするだけの存在ではないと、次のようにいいます。
・・・週40時間の労働は、絶え間ない緊張と不満と燃えつきの源泉だ。そういう職場にもどる前に働くことの意味を考えよう。自分の仕事は、自分の人生にどのようにあてはまるのか。

・・・こう考えてみたらどうだろう。誰にもみな、ベーシックインカムと住居と保健医療があること。失業することなく退職が可能で、障害があっても、誰かを支援していてもふつうでまっとうな暮らしができること。できないことではない。パンデミックで数百万人が一気に仕事を失ったのに、彼らの尊厳は失われなかった。
・・・働かなくても、人には尊厳がある。カトリックは過去130年、こう教えてきた。雇用者が求める仕事をするのではなく、労働者が自分にふさわしい仕事をすればよいと。1891年に法王レオ8世は書いている。労働条件は労働時間もふくめ、働くものに適していなければならない、きつい労働は短縮すべきだと。れわれは、看護師をはじめ厳しい労働に従事する人びとに、8時間も働かなくていいといおうではないか。

・・・デューク大学のマルクス主義フェミニスト、キャシー・ウィークス教授もいっている。「上司や仲間、顧客が求める圧力で私たちは燃えつき、希望を失う」。賃金を減らすことなく、労働時間を6時間にするべきだと彼女は提案している。
・・・われわれに必要なのは、尊厳、思いやり、楽しみ、それに連帯だ。あなたにとってよいことは、わたしのよいこととつながっている。私が働きすぎれば、あなたも燃えつきるだろう・・・

というふうな枠組みで、仕事ってものを考えてみましょうというんですね。
ぜーんぶ、夢みたいな主張。
でもこの世の中のどこかで誰かが、折りにふれ、こういう夢を語っていてほしいです。
(2021年10月2日)