テイちゃん、菅原貞子さんが、お茶を淹れています。
湯呑に注いで、お客に差しだしています。
テイちゃん、こんなこともするんだ。
決して軽くはない精神病で、かつては「あばら家のなかで、ホームレス」のような暮らしをしていた貞子さん。予測のつかない行動、意味の通らないことばでとりつくしまのなかったテイちゃんが、お客に「どうぞ」とお茶を淹れている。
どうして? あまりの変化に戸惑います。
ひがし町診療所の共同住居「すみれハウス」でのことでした。

この日は、診療所のデイケアのプログラム「幻聴ミーティング」を、共同住居で開こうということになり、ぼくもついて行きました。診療所の共同住居第1号、通称「すみれ1」に行くのは1年ぶりでのことです。
そこで目撃したのが、お茶を淹れ、訪問者を歓待するテイちゃんでした。

かつて町外れの崩れた一軒家に住んでいたテイちゃんは、家がなくなり、4年前にすみれ1に入居しました。そのころはまだ「むかしのテイちゃん」でした。どなったり暴れたりすることもあった。それがいまは穏やかで優しい別人です。これが本来のテイちゃんでしょう。むかしのテイちゃんは、どこか暮らしの歯車が狂っていたということだったんじゃないか。そんなふうにも思います。
そのテイちゃんがこの日いちばん目をかけていたのは、息子くらいの年代の水野琢磨さんでした。「かわいいね」「だいじょぶだ」と声をかけながら、お茶を出し、肩までもんでいます。
またまたぼくは驚きます。ほとんど口をきかない、おとなしくじっとしているだけの、あるいはぼくにはそうとしか見えない水野さんを、なんでテイちゃんは気に入ったんだろう。

ぼくはメンバーのことがほとんどわかっていない、ということがわかってきます。こうして共同住居の居間でくつろいでいる人たちが見せる意外な素顔は、じつは意外でも何でもなく、本来の姿なのでしょう。
診療所にいたらわからない。精神障害者といわれる人びとの暮らしのなかの姿が、共同住居では見えてくるのだと思います。

浦河ひがし町診療所は、当初からずっと「医療より、暮らし」といってきました。
それがどういう意味かを、ぼくはこの日、すみれ1であらためて実感した思いです。
(2021年11月27日)