28日正午、北海道浦河町は気温が30度になりました。
きのうより4度上がり、ことし最高。このあたりとしては異常な暑さです。
横浜にくらべればたいしたことはないと思うけれど、地元民は汗だくです。うちわをパタパタさせ、水分補給に努めていました。

浦河ひがし町診療所ではきょう、恒例の水曜ミーティングがありました。
基本的に自由進行のミーティングです。決まり、形がほとんどない。発言したい人が発言し、聞くだけの人もいる。自由なので脈絡を欠き、一見焦点の定まらない話がとぎれたり飛んだりしながら延々とつづきます。生産性を重視するビジネスの世界から見たら信じられない効率の悪さですが、このスタイルこそが診療所では大事だし、このスタイルでなければミーティングは成立しません。
そういうミーティングに、精神科医の川村敏明先生が顔を出すと話はさらに拡散します。飛躍してときにわけのわからない方向に進み、どこかで消えたと思うと別の話になる。多くは笑い話に。
つまり、集中しない。正面から向き合わない。
精神科の診療とおなじように。
それはどういうことかが、きょうもまた話し合われました。

なぜ集中しないのか、なぜ正面から問題や病気や患者に向き合わないのか。それは川村先生のスタイルであるとともに、診療所のスタッフがそれぞれ濃淡はありながら身につけたスタイルでもあります。そこからはじまった話のなかに、きょうはこんな一節もありました。

患者も家族も、スタッフも周囲も、誰もが医者に医者の役割をはたすことを求める。
狭い医者の役割、わかりやすい役割をはたしてもらおうとする。治すこと、治すのに一生懸命になること。治るという方向を提示すること。
その枠組から逃れたい、と先生はいいます。
だから一見関係のない話をする。広い話をする。すぐには理解できないような話をする。そうすることで自分は「周囲が欲する狭い役割」から自由になり、自由のなかで新しい展開を拓こうとする。そのとき、周囲もまた考えるようになり自由になるのではないか。
と、そういうことばでいったわけではないけれど、そういう意味のことをいったとぼくは思いました。
そのほかにもいろいろなことばがあったけれど、きょうはこのことばをぼくの勝手な解釈として記録しておきます。
(2021年7月28日)