去年運がよかっただけ

 コロナは運。
 これまでは。でもここにきて様相が変わっている。
 アトランティック誌の記事を読んでそう思いました(JAMES HAMBLIN, MAY 14, 2021, The Atlantic)。

 コロナについては洪水のような情報があり、文明史的な評論も山ほどあります。成功した国、失敗した国、いろいろあったけれど、栄枯盛衰、成功と失敗は入れかわる。たとえばインドはことしはじめまでコロナ封じ込めの成功例だったけれど、その後感染が爆発し、最悪の状況を迎えています。最大の犠牲を出したアメリカはいま、脱コロナの先頭を走っている。

 アトランティック誌のスタッフで医師のジェームス・ハンブリン記者はいいます。
「うまくいったところもそうでなかったところもある。その要因は何か。気候か、遺伝子か、生活様式か、衛生環境か、免疫系の差異か? 答えはノーだ。そうした因子が大なり小なり役割を果たしたかもしれないが、最大の要因は運だ」

 結局、運。
 その言い方にぼくは奇妙に納得しました。
 完璧にコロナを抑えこんだはずの台湾だって、ちょっとした油断から感染が広がった。成功例のオーストラリアがロックダウンをくり返すのも、思いがけない感染ルートから。タイ、ベトナムに手抜かりがあったとは思えないのにいまや感染国。
 つまり、運だったのかな。

 でも、と、この先がハンブリン記者のポイントです。
 運はつづかない。
「コロナが終わったと思って人びとが断固とした対策を取らなくなったところに、ウィルスはかならずもどってくる。これこそわれわれが見逃してきたポイントなのだ」

 だから世界規模でワクチンの接種を進めなければならないというのが記事の要点です。でもぼくは別の読み方をしました。

 コロナが終わったと思って断固とした対策を取らなければ、ウィルスはかならずもどってくる。
 そこで失敗したら、それはもう「運」ではない。
 無謀なオリンピックでコロナが広がり「亡くなった方は運が悪かった」という言い方は、もうできないのです。アトランティックの記事を読んでぼくはそう思いました。
(2021年6月19日)