口ずさむスポーツ

 めずらしく、新聞のスポーツ欄に目が止まりました。
「残念だけど難しい――が、冷静で現実的な感覚なのでは」
 柔道家、山口香さんのインタビュー記事です(朝日新聞、2021年1月26日)。

 山口さんは、今夏のオリンピック開催はむずかしいといっています。JOCの理事でありながらの大胆な発言。でも彼女がいっていることは賛成反対を超えている。
 彼女はインタビューの途中で、唐突にこういいます。
 自分は車を運転しているときや、台所にいるとき、「何げなく歌を口ずさむことがある」。人に聞かせるのでも、うまいかどうかでもなく。ただ、歌うと少し気分がよくなるから。
 ふむふむ、柔道家の鼻歌。いいなあ、それで?
「一方、スポーツ界は、トップレベルばかりに価値をおいてこなかっただろうか」
 あ、そう来たか。
「「口ずさむ」だけのスポーツは評価されず、勝利至上主義や体罰を生む土壌にもなった」
 山口さんはそういって、スポーツはトップ・アスリートだけのものではなく、もっと口ずさむように「楽しいもの」でもあるはずだといいます。
「五輪は人類がコロナに打ち勝った証し」とか、そんなんじゃなくて。
「勝たねばならぬ」の精神ではなく。
 そうだよなあ。
 スポーツって何なのか、ずっと彼女は考えてきたといいます。
 JOCのなかにも、こんなまともな人がいたんだ。

 おなじことを、文芸評論家の斎藤美奈子さんもいっていました(1月13日東京新聞“本音のコラム”)。

 オリンピックは何が何でもやるんだと意気ごんでいるえらい人たちを、彼女もさめた目で見ています。「コロナに打ち勝って」とか、開催に「ゆるぎない決意をもって」とか、そういう精神論は「先の戦争末期を連想させる」。
「特攻精神で五輪に突入する」ようなことはやめて、「中止を決断すべきだよ」ともいっています。このコラムのタイトルは「撃ちてし止まん」、戦争中の有名な標語です。そういうことしてると負ける。

 オリンピックを中止したら国家の沽券にかかわる、とかなんとか。そういう発想はどこから来るんだろう。やっぱりこれは「えらそうな男」の社会だからか。スポーツを口ずさむという“かろみ”が、もう少しないものだろうか。
(2021年1月27日)