台湾と日本の間で

 ベストセラーは読まないのですが、今回は魅力に負けて読みました。
 芥川賞受賞作、『彼岸花が咲く島』(李琴峰、文藝春秋)です。
 なんで魅力かといえば、著者が台湾人、しかも日本語で書いた小説だから。おまけにテーマがどうも沖縄っぽい。

 実際には沖縄ではなく、架空の島が小説の舞台です。その島の人たちが話しているのが、日本語のようでいて日本語ではない。台湾語でも中国語でもない奇妙なことば。ありえないことばだけれど、あるかもなあ、と思わせるだけの筆力が著者にはある。
 たとえば;

「リー、何故(なにゆえ)ここに(サイ)するアー?」
「東集落に用事(ゆう)したアー。ノロたち馬上(もうすぐ)回来(かえって)する(くる)ゆえ、刀磨くために(チユ)した」

 ひらがなは日本語、漢字は中国語、カタカナは台湾語。と、厳密に割りふっているわけでもないけれど、どうもそんな感じ。その間に「ニライカナイ」なんていう沖縄のことばも混じる。言語と文字の表記と音とが入り組んで、これはどこのどういうことばかわけがわからなくなる。台湾人でなければ書けない、魔力を持つ文体です。

彼岸花(曼珠沙華)の群生

 登場人物が話しているのは「日本語」と「やまとことば」と「女語」という、おたがいよく似ているけれど別のことば。通じるようで通じないことがよく起きる。それを補うことばとして英語が登場する。「信じる」が通じないと「ビリーブ」に言い換えたり。
 そういうことばの冒険だけではなく、『彼岸花が咲く島』は奇想天外なジェンダー論にもなっています。「女語」という言語が登場することからも想像がつくように。

 台湾の社会や文化にぼくが興味を持つのは、もとはといえば30年近く前、アメリカで台湾独立運動の人びとに出会ったからです。流暢な日本語をしゃべり、歌を詠む人もいました。そのときまで、日本占領下の台湾で何が起きていたかをぼくは知りませんでした。
 その後、リービ英雄さんの本を読み、台湾の文化と言語の複雑さを知ります。最近では温又柔さんの本も興味深かった。台湾について、いまのぼくはむかしより複眼的に見られるようになったと思います。

 本、映画、文化、料理、歴史。そのすべてに影を落とす中国という脅威。日本という過去。
「台湾物語」を、興味津々でぼくは読みつづけています。
(2021年7月29日)