向かいのお宅の向こう側、牧場との境に古い大きな木があります。
ただの枯れ木としか見えなかったのが、5月になって少しずつ遠目に木全体が白っぽくふくらんできました。
芽吹いたのかと思ったら、そうではありません。花が咲きだしたのです。
今週になって白い花がほぼ満開。みごとです。
いったい何の花か、何の木か。向かいのお宅はご夫妻が老人ホームに入ったのでいまは無人、なかに入るわけにはいかず遠くからながめていました。

そして気がつきました。浦河町内にはあちこちにそっくりな木が花を咲かせていると。それで近くの浦河駅まで出かけました。駅前に一本、おなじ花の咲いている木があります。それを近くでじっくり見て、図鑑と参照してスモモとわかりました。向かいのお宅の木もスモモにまちがいありません。
いっぺんスモモだとわかると、町のあちこちにこの木が花を咲かせているのがわかります。家にも山にも、身近にこんなにたくさんあったのかと驚き、これまでそれに気づかなかったことにも驚きます。

ふだん気にもとめなかった木が、名前とともに現れる。そういうことがことしは何度もありました。コロナのおかげで、冬から春へと移る季節をゆっくり目にすることができたからでしょう。この歳になってはじめて、ぼくはスモモに出会えた気分です。

植物の名前を覚え、それが見分けられるようになると、こんどはその植物が風景のなかから浮きあがって見えてきます。
そういうとき、ぼくはよく浦河にいた神田次男さんを思い出します。小さいころから山に入っていた神田さんは山菜採りの名人で、仲間からは一級山菜士とも呼ばれていました。
山でも里でも海でも、身のまわりにある花や木、獣や鳥、魚を見分ける。知る。ともに暮らす。豊穣な暮らしを受けついだアイヌのひとりでした。アルコールで身を滅ぼしたけれど、ほんとうに彼を滅ぼしたのはアルコールではなく、近代という時代だったのではないかと思います。
(2021年5月15日)