命の選別はどこまで

 人のいのちに優劣はない。
 そういうタテマエはあるけれど、現実の社会ではいのちに優劣をつける動きがいやおうなく進んでいます。この大きなテーマに正面からぶつかった本に出会いました。
『ルポ「命の選別」 誰が弱者を切り捨てるのか?』(千葉紀和、上東麻子、文藝春秋)。

 この本は、ぼくらの社会で陰に陽に進んでいる障害者や弱者を差別し排除する動き、そこにつながりかねない出生前診断やヒト受精卵の選別、遺伝子操作などの動きと議論を網羅的に伝えています。
 ちょっと重い本だったけれど、読んでよかったと思いました。

 出生前診断、優生思想、障害者という存在。
 問題は多岐にわたります。そのなかのひとつの焦点は、「どのような子どもを産むか」をめぐる駆け引きでしょう。
 一方には、「健康な、優秀な赤ちゃんがほしい」という誘惑がある。
 もう一方には、子どもは選び取ってはいけないという「正論」がある。
 でも正論は「優秀な子ども」への欲望に空洞化されている。そうした方向への明らかな駆動が起ころうとしている、と本書は告げています。

 読んで、もどかしさとともにあらためて思うことがありました。
 それは、子どもでも障害者でも医療や介護の現場でも、「ナマの現実を見なければわからない」ということです。

 生まれた子どもを抱きあげたとき、ぼくらはそれまで知らなかった情感を覚える。障害者といっしょに暮らしたとき、ぼくらのなかでは「ショーガイ」という概念が変わる。医療者のナマの声を聞いたとき、彼らもまた悩める人なのだと了解できる。その悩みは大事なのだと思う。

 そういうナマの現実とかけ離れたところに、大部分の人はいる。そしてそこで大部分のことも決まってしまう。多くの人がアプリオリに「やっぱり、ショーガイなんかないほうがいい」と思ってしまう。
 そうした傾向に抗するために、どうすればいいだろう。

『ルポ「命の選別」』を書いた二人の毎日新聞記者は、旧優生保護法のもとでの強制不妊手術を取材し、「命の選別」を考えつづけてこの本をまとめました。そして「日本は、形を変えて「優生社会」化しているのではないか」といいます。
 読みながら、いろいろなことを考えさせられる本でした。
(2021年6月15日)