アメリカ人記者の原爆報道といえば、ジョン・ハーシーです。
広島に原爆が落とされた翌年、現地を取材したハーシー記者の長文のレポート「ヒロシマ」は、1946年8月31日、雑誌「ニューヨーカー」に発表され、はじめて原爆の惨状を伝える貴重なルポルタージュとして多くのアメリカ人に衝撃を与えました。
むかしこれを読んで、ぼく自身もアメリカ人とは別な意味で衝撃を受けたことを覚えています。
これほどの惨状にあいながら、怒りよりもあきらめに沈んでいた当時の日本人に。
「ヒロシマ」は、歴史的なレポートだと思いました。
しかし、歴史的なレポートはもうひとつありました。
なんと、ハーシー記者以前にヒロシマを取材した記者がいたのです。チャールズ・ローブ記者。黒人です。
これまで日本に知られていなかったこの記事は、1945年10月5日付の「アトランタ・デイリー・ワールド」紙に掲載されました。「ローブ記者原爆を見る」という見出しが付いています。黒人記者の記事だったがゆえに、そしてまた黒人向けの新聞に掲載された記事ゆえに、これまでほとんどのアメリカ人が、そして日本人も、知ることのなかった記事です。
それをこのほどニューヨーク・タイムズが発掘し、伝えました(The Black Reporter Who Exposed a Lie About the Atom Bomb. Aug. 9, 2021, The New York Times)。

すぐれた、かつ歴史的な記事です。
なぜならヒロシマへの原爆投下を黒人の視点で捉えているからです。
ローブ記者の記事は、原爆は投下されたあとも長期にわたり放射線の害で多くの市民を死亡させたと伝えました。これは当時のアメリカ軍の、そんな被害はないという公式発表のウソをあばく報道でした。
ローブ記者はアメリカ軍の公式見解に挑戦しただけでなく、原爆の投下は日本人に対する人種偏見を反映したものだという見解をも提示しています。
アメリカは、原爆の投下が人種偏見と結びついていることを一貫して否定してきました。いまでも公的にはそんなことを認めていない。けれどもローブ記者は、アメリカ人ではあったけれども黒人であったがゆえに、1945年当時から日本人に対する人種偏見という視点を提示できたのでしょう。アメリカ政府の公式見解とは異なる見方を、自身の記事で示しています。

ローブ記者の記事をくわしく紹介できないのは残念ですが、第二次大戦当時、アメリカ軍には黒人の従軍記者がいたということは驚きです。そしてまた、そういう記事を掘り出してきたタイムズ紙もたいしたものだと思います。
それもこれもBLM、ブラック・ライブズ・マターとつながっているにちがいありません。
(2021年8月23日)