南米のコロンビアで、51歳の難病の女性が安楽死を遂げました。
彼女は去年10月10日に安楽死すると決めていたことを、このブログで書きました(10月9日)。ところが直前になって医療者側が反対し、裁判所が介入して予定が遅れ、1月8日になってようやく安楽死の措置が取られました(Colombian woman dies by euthanasia after historic legal fight. January 8, 2022, The Washington Post)。
カトリック信者がほとんどのコロンビアで、なぜ安楽死が認められるのか。日本では禁止されている安楽死をどう議論しているのか、ぼくは気になっていました。コロンビアの人びとは死ぬことについて、より現実的な議論をしているかもしれない。

亡くなったのはマルタ・セプルベダさんという、敬虔なカトリックの女性です。4年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しました。筋肉が弱って動けなくなり、2年から10年で死亡する率が高い難病です。セプルベダさんも症状が進んでいました。
コロンビアは世界でも数少ない、安楽死を法律で認めている国です。ただしこれまでは、6か月以内の死亡が確実な患者が対象でした。セプルベダさんのように、死期が予測できない患者は除外されたのです。しかし苦痛が増すのに治療法がなく、さらに悪化するだけなのは耐えられないと、セプルベダさんは安楽死を求めていました。
裁判所は、法律は終末期の患者だけでなく「損傷や不治の病による重度の身体的、精神的苦痛をこうむっている場合」にも適用されるという判断を示し、彼女の安楽死に道を開いています。

(息子フレデリコさんのツイッターから)
安楽死は「自立と尊厳を保ちたいという彼女の考え」に沿って行われたと弁護団はのべ、セプルベダさんがこれまで自分を支えてくれた多くの人びとに感謝しながら逝ったことを明らかにしました。
「いのちの最後を自分で決めるための戦いはつづく。コロンビアの人びとがすべて、望めば幇助された医療的な死を迎えられるようになるまでつづくだろう」
本人はかねてから「いのちは神のもの。神は私の苦難を望んではいない」と語っていました。

弁護団は安楽死を求める議論の中心に、人間の「自立と尊厳 autonomy and dignity」という概念をおいていたようです。とはいえ現実の課題は、そうした概念を唱えながらもどこまで「この自分」を通せるか、あるいは周囲を説得できるかでしょう。安楽死や尊厳死について安易な一般化はできないけれど、ではどうすればいいか。考え出すときりがないのに、考えてしまいます。
(2022年1月10日)