後見が虐待になるとき

 アメリカの歌手、ブリトニー・スピアーズさんが、「後見制度をやめて」と訴えたことを、7月4日のこのブログで書きました。
 スピアーズさんは、精神障害で自分のことを決められないとされ、複数の後見人に「管理」されていますが、これは虐待だと裁判所に中止を求めたのです。メジャーなメディアも大きく報道しました。
 ぼくは芸能ニュースの門外漢だけれど、後見制度には強い興味があります。そこをちゃんと伝えてくれる良質な記事が雑誌「ニューヨーカー」に載り、ようやく全体像がわかった気分になれました(Britney Spears’s Conservatorship Nightmare. July 3, 2021, The New Yorker)。

「わかった気分」の要点は、以下のようなものです。
 スピアーズさんの精神疾患は重篤なものではない。強制的な精神科の治療は、周囲の過剰反応。
 後見制度は、父親による「いうことを聞かない」娘への支配になっているかのようだ。
 裁判所は後見制度の適用にあたり、当事者不在で本人の自由を奪う決定を下していた。
 後見制度よりもっとゆるやかな支援制度があるのに、その検討がされていない。

ブリトニー・スピアーズさん (Pixabay)

 後見制度は必要だし、有用です。ただし運用次第で。
 今回の例を見ても、裁判所はどうしても「社会防衛」の立場をとりがち、らしい。スピアーズさんには支援の輪が広がっているけれど、後見はかんたんには中止されないでしょう。
 反対する人たち、ことに父親やその弁護士のあいだには、後見がなければスピアーズさんは「またどんなまちがいを犯すか、わかったものではない」という強い懸念があるようです。

 ニューヨーカーの記事で、障害者の権利のために活動するゾー・ブレナンクローン弁護士はこう指摘していました。
「リスクの尊厳、という考え方があるんです。私たちの多くは、悪い選択をしてしまうことがあるけれど、だからといって社会から否定されるわけではない。ところが後見制度のもとで障害者はつねに最良の選択をするとされている。それを誰かがやってくれるわけだけれど、そういうのは現実の社会の価値観じゃないんですね」
 人はまちがいを犯しながら生きている。
 障害者だけが正しい選択をしなければならない、ということはないのです。

 スピアーズさんは、裁判所で証言しました。
「後見制度は人を助けるものかもしれない。でも判事さん、何千もの、後見制度の虐待というのがあるんです」
(2021年7月17日)