先週のニューヨーク・タイムズでとくに印象に深かったのは、コロナからの出口を示す論考でした。
「一定の感染を許容しよう」と訴える、踏みこんだ意見です。
感染をゼロにしようとしても無理だ、だとするならどこまで感染を認めるか、そこを議論しなければならない。
現実的な目標をどこに設定するかで、コロナ対策は変わる。それがないかぎり、ぼくらはいつまでも右往左往するだけ。まず目標の設定を。
こう訴える意見を、感染症を専門とするハーバード大学のジョセフ・アレン博士と、ボストン大学のヘレン・ジェンキンズ准教授が連名で寄稿しました(The Hard Covid-19 Questions We’re Not Asking. Aug. 30, 2021, The New York Times)。

二人の意見は、コロナ・ワクチンの接種が進んでいることを前提としています。
接種が進んでいるところでは、コロナとの戦いは様相を変える。それに合わせて新しい目標が必要となります。
「感染をゼロにするなら、それに対応した一連の政策がある。そうではなく、インフルエンザとおなじようにコロナと共存するというのであれば、別の政策リストがある」
たとえば学校でのマスク着用について、こういいます。
「感染や死亡者をゼロにするのであれば、マスクは終わらない。そうでない目標を設定するのであれば、学校当局はその目標を示して賛否両論をオープンに議論するべきだ・・・いつどこでマスクが終わるか、わからないままでいるのは誰の利益にもならない」

かりに感染があっても、大部分の子どもは重症化しないし、入院や死亡はおとなよりはるかに少ない。後遺症があったとしてもまれで、他の感染症の場合と大きなちがいはないといいます。
アレン博士たちは、「私たちは無謀なことをいっているつもりはない」と、イギリスの例を引きます。イギリスでは、子どもたちが学校でマスクをしていない。それは感染対策をおろそかにしているからではない。
「イギリスでは、マスクをしないことによる感染は、学校活動のたいせつさを考えれば許容範囲とみなしているのです」

許容範囲の感染。すなわち子どもたちの一定の感染を認める。
それとおなじように、ワクチンの接種が進んだら、おとなについても一定の感染を許容すべきなのでしょう。そしてこの「一定の感染」について、明確な目標を設定すべきだというアレン博士たちは提言は、しごくまっとうに響きます。
感染をなくすこと、防ぐことだけを考えていると、このまっとうさが見えてきません。
(2021年9月4日)