知り合いのノンフィクション作家、大倉直さんが新しい本を出しました。
幕末から昭和にかけ、日本史のさまざまな場面に登場する人びとの記録です。たとえば日本にはじめて西洋風の銅像をつくった人、「禁酒法」を制定した村、最初の女子留学生、ブラジルに渡った移民など。月刊誌『公評』に連載された24話を、『閂(かんぬき)をはずせ』と『影絵のようなもの』という2冊の本にまとめています(小松書館)。
なかでも、え、そんなことが、と思ったのが、明治期に「新しい文字」をつくろうとした人たちの話です。
草分けの小島一騰という人は「ローマ字を基本にして二十四の新字を開発」し、それに「四種類の点をつける」ことで合計八百十三の音を表現できる、としたらしい。また、七十五の文字にいくつかの記号を組み合わせた稲留正吉の「綴字法」、「ひので字」という「ローマ字のような、あるいはロシアのキリル文字のような恰好」の新字を開発した中村壮太郎という人もいたようです。
要するに、漢字、ひらがな、カタカナなんかぜんぶやめて、もっとずっと使いやすい文字体系にしようと考えたらしい。

背景にあったのは、漢字なんてややこしい文字を使っていたら西欧列強に追いつけないという危機感です。
漢字を全廃すべしとか、すべてローマ字にしよう、ひらがなだけにしようという議論もあった。もっとすごいのは、日本語を廃止し英語を日本の公用語にしようという森有礼のような考え方です。この英語論はぼくも知っていたけれど、字を新しくしようと考えた人たちまでいたとは知りませんでした。
歴史的に見れば、ハングルのように国が制定した文字が普及した例はあります。だから日本も、まかりまちがえば新字が制定されていたかもしれない。音声言語の本体は「オト」だから、そこに公権力が介入するのはきわめてむずかしいけれど、文字は音声言語の附属物だから比較的かんたんに変えられる。
そんなことが起きなくてよかった。
漢字、ひらがな、カタカナをまぜて使う日本語は、英語よりずっとゆたかな表現になると、たしかリービ英雄さんがどこかでいっていたような気がします。ぼくにとってはもう、自分のなかに身体化された表記法です。
(2021年2月17日)