明日は明日の風が

 24日、浦河を出て横浜の自宅に帰りました。
 去年のいまごろにくらべると、だいぶ人出がもどった気がします。
 浦河から千歳までのバスや電車は、こころなしか乗客が増えました。飛行機も真ん中の席は空いているけれど、それなりに乗っています。
 世の中すべてが緊急事態ではありません。医療体制の崩壊こそが緊急事態なのに、まんぜんと緊急をいいつづけるのはごまかしになる。ことばが機能していませんね。

 コロナになって、それぞれの国のちがいが出ました。
 アメリカでは、国の統治より個人の自由が突出している。都会ではみんなマスクをするけれど、田舎ではほとんど見かけない。飲食店でマスクをしろといわれた人が、怒って相手を撃ち殺すなんてことまで起きている。その「自由の国」で、コロナの死者はもうすぐ70万人になろうというのに社会不安は起きていない。
 一方、日本の死者は1万7千人。アメリカより圧倒的に少ないのに、社会不安はアメリカよりずっと大きい。この重苦しさはアメリカにはないんじゃないでしょうか。

「その日暮らし」ということばが浮かびます。
 きょう生きられればいい。明日は明日の風が吹く。江戸時代の長屋に暮らす人びとはそうだった。いまでも途上国で暮らす人びとの多くはそうだといいます。
 先を見るということがない。保険や健康診断やワクチンなんて無縁の暮らし。
 近代は、そういう人びとを愚かで無知蒙昧、未開な人びととさげすんできた。
 でもそういう人たちを、うらやましいと思うのはなぜだろう。

 その日暮らし。
 いまのアメリカとも、いまの日本ともちがう。
 明日のことを思いわずらわない。きょうを笑って過ごす。
 浦河に通うようになって、ぼくはだんだんそういう「ダメな人生」を思うようになりました。
 するとなんだか、コロナにかかりたくはないけれど、かかったらそのときはそのときでしかない、と思うようになります。

 痛いとか苦しいとかつらいとかは避けたいから、ワクチンは打つし近くに医者はいてほしい。最低限の食べるものは手に入れたい。あんまり寒いとか暑いとかはいやだと、だんだん無理なことも考えるけれど、そして人生あれやこれやはあると少しの覚悟はするけれど、やっぱり引かれます。
 その日暮らし。
(2021年9月25日)