映画「CODA」は、期待以上の秀作でした。
去年のサンダンス映画祭でグランプリとなった映画「CODA」は、マサチューセッツ州のろう者の家庭で育った聴者の娘(Child Of Deaf Adults)の物語です。このブログにも書きましたが(2021年3月31日)、1年たって日本でも公開されたので見に行きました。
ろうと手話、CODAを不安なく描き、しかも楽しませてくれた作品です。実力派といわれるシアン・ヘダー監督の人柄と、彼女の脚本の力でしょう。

まず評価すべきは、ろう者の役にろう者を起用したことです。
中心となるろう家族の、両親と兄の3人はろう者です。ことに父親はいかにも“ろうっぽく”て、ろう者の手話、ろう者のユーモア、ろう文化をあますところなく表現している。それにくらべると母親の存在が薄かったのは、彼女がろうというよりは難聴の女優、マーリー・マトリンだったからでしょうか。
肝心な主役のエミリア・ジョーンズは聴者で、どこまで自然な演技ができるか気がかりでした。でも不安はありませんでした。かなり手話を勉強したのでしょう、「聴者が演じるろう者」としては最高レベルだったと思います。長丁場の、感情をこめた表現は無理かなというところもあったけれど、それも許容範囲です。

(マサチューセッツ州グロスター, iStock)
この映画がじつによくできているのは、ろう者が見ればあちこち破綻しているところはあっても、聴者が見たら「ろう者と手話、CODAの世界をリアルに描いている。すごい」と思わせることです。
たとえばろう者の母親が聴者の娘に、お前が生まれたとき、ろうであってほしいと思ったという場面。CODAの娘が自分は一生、手話通訳として家族にしばりつけられるのかと怒る場面、など。
一方で、主人公の家族以外にろう者がまったく登場しないとか、コミュニティの手話通訳がいない、ろう者が漁船を操船できないとされるなど、不自然なところがいくつもあります。しかし全体としてはすごくいい出来だと、聴者のぼくは十分納得して楽しめる作品でした。
些末なことでいえば、タイトルが英語では「CODA」だったのに、日本公開では「コーダあいのうた」というつまらない表記になったこと、字幕が「ろう者、聴者」ではなく「健聴者、聾唖者」になっていたことなど、配給会社ギャガの売らんかな戦略に違和感を覚えます。日本の観客はその程度のものと見られているのでしょうか。
金曜日夕方の上映館はガラガラでした。サンダンスでの高い評価にもかかわらず、こういう映画を楽しむ人はまだ少数派なのでしょう。
(2022年1月29日)