4日、北海道はかなりの暴風雨となりました。
30メートルをこす風が吹いたり、24時間雨量が200ミリを超えたところもあります。
北海道新聞によれば、その余波で浦河町のある日高地方を中心に4万戸が停電になりました。
停電は、浦河では昼と夜と2度ありました。昼間が1時間あまり、夜は7時前から2時間半。オール電化の家は困ったようです。ぼくの家はプロパンガスなので夕食はつくれました。

停電になってすぐラジオをつけたのに、何のニュースも流していません。東京だったらけっこう騒ぎになるけれど、地方で停電というのはじっと復旧を待つだけなんでしょうか。どうも電力会社のインフラ整備は、都市と地方の格差を容認しているんじゃないかと勘ぐりたくなります。

日本の電気料金はアメリカにくらべると倍以上の感じで、かなり割高です。それは設備投資の差だと、むかし電力会社の人から聞きました。夕立で雷が落ちてもすぐ停電するアメリカにくらべ、日本はよほどのことがないと停電にならない。それだけの設備投資が、高い料金にはふくまれるのだと。
それを聞いて思ったものです。ときどき停電するくらいがまんするから電気料金を下げてほしいと。でも、「停電くらいがまんする」というぼくの思いは、あんまりこの社会で通用しそうもないですね。
停電で手持ち無沙汰だから、さらに考えました。
ぼくはこれまで、電力のような巨大なシステムは誰かがどこかでそのあり方を決めていると漠然と思ってたけれど、そうではないのではないか。巨大なシステムは、誰が全体を決めたのでも、きちんとした論理があって決まったものでもない。いろんな要素が重なり、集まって、いまのような形になったということなのでしょう。
だからかんたんには変えられない。でも、そういういいかげんさがあるから変える余地もある。
とまあ、これはぼくの独自の見解ではなく、社会学者の筒井淳也さんの『社会を知るためには』(筑摩eブックス)の受け売りです。
停電してもいいから電気料金を安く、は、むずかしいけど不可能ではない、かな。

ひとつ気がついたことがあります。停電のときはLEDのランタンが便利です。懐中電灯のように手に持っていなくてもいいので。たまたま家にあって、重宝しました。
(2021年6月5日)