「やったんだよ、何人もで患者押さえつけて。よくあんなことしたもんだね」
ひがし町診療所のデイケアで、“師長さん”が熱弁を振るっています。
かつて浦河赤十字病院の看護師長だった竹越靖子さんは、職場で人望が厚かったので退職したいまも元の職名で呼ばれています。
その師長さんが、診療所に実習にやって来た学生に、むかしは精神科の患者に「電気ショック療法」もやったんだよ、と話しています。説明も同意もなく強引に押さえつけ、患者にとっては恐怖と苦痛でしかない「治療」を。当時、精神科病棟に人権なんてものはなかった。

へええ、と学生が目をむいています。
教科書に書いてあったけど、実際にそこにいた人に会うの、はじめてです。
いまじゃ想像もつかないよね、といいながら師長さんはつづけます。
電気ショックだけじゃない。インスリン療法もやった。患者は気を失って。
医者のいうことは絶対、看護婦はただいわれたとおりにする。当時はそれをおかしいと思わなかった。

ことし80歳になる師長さんは、精神科の悲惨な「医療」を知る数少ない目撃者のひとりです。かつては、「ほかのどんな病気になってもいいから、精神病にだけはなりたくない」と心底思っていました。精神科の「治療」を目のあたりにしていたので。
その師長さんは、赤十字病院に川村敏明先生が来てからの変容を見ています。多少の年月はかかったけれど、鍵のかかる閉鎖病棟はなくなり、患者を無理に押さえつける医者中心の医療もなくなった、精神科は患者を中心とした「開放の医療」へと変わってゆきます。その変化は、師長さんにとってときに頭がひっくり返るようでした。
「治すべきは患者じゃなくて、あたしたちだったんだよね」

精神科医療50年史。
とても短時間で学生の頭に入るものではありません。でも歴史的な事実より、こうして師長さんが話していること、しかも師長さんは精神医療とともに自分自身を変えていったということ、そのことが学生にとっては刺激となるでしょう。
師長さんがこんな話をするのは、コロナのせいでデイケアの活動がなくなり、実習生が当事者の話を聞くチャンスがほとんどなくなったからです。
でも師長さんの話が聞けたのはラッキーだったんじゃないかな。それは、ひがし町診療所がなぜいまのようになったかという話でもあったのだから。
(2021年5月31日)