直す権利を求めて

 直す権利、Right to Repair。
 ヨーロッパやアメリカでこんな権利を求める運動が進んでいます。
 家電やスマホなど、工業製品を「修理する権利」を求める運動です。
 ぼくらの身のまわりにある工業製品の多くは、修理しようと思ってもできない。
 部品がないから。直す人がいないから。修理方法が公開されていないから。たとえばスマホは電池と一体で、電池だけ交換することができない。そもそもメーカーは修理を禁止している。

 掃除機や冷蔵庫はかんたんな部品が壊れても修理ができない。直せないなら買い換えるしかないと思うようになる。
 ヨーロッパでは、できてから5年以内に廃棄される家電製品が2012年、2004年の2倍以上になったといいます。
 消費者はどんどん新しい製品を買うようにしむけられている。

 それ、おかしいんじゃないか。
 直せるものは直して使いましょうよ。
 そういう声が、ヨーロッパやアメリカの消費者のあいだで強まっています。

 この「直す権利」の実現に向けて、イギリスではこの7月から新しく販売される家電製品など対し、「修理しやすくしなければならない」と決めた法律が施行されました。具体的には洗濯機やテレビなどの大型家電について、メーカーは10年間、交換修理に必要な部品を供給しなければならないことになるとBBCが伝えています(Right to repair rules will extend lifespan of products, government says. July 2, 2021, BBC)。

 誰がどう修理するかはともかく、新しい法律は、「部品がないから修理できない」ということにならないよう、メーカーに求めています。
 それで直す権利が実現したとはいえないけれど、そうした方向へのはじめの一歩でしょう。少なくとも直す権利の考え方が法制化された意義は大きい。

 直す権利が広がっているのは、メーカーの販売戦略への反発とともに、使い捨て文化は環境破壊だという認識があるからです。でもぼく自身は、直す権利の運動にはもっと深いものがある思います。
「直す」というのは、消費行動や環境保護よりもっと前にある、ぼくら自身の生き方の問題ではないかという気がするからです。
(2021年7月3日)