知性も死なない

 知人の知人が、うつになったといっています。
 死にたいといって包丁を持ち出すまでになった、どうしようと。
 困りはてている。けれど相談してきたのは本人ではないから、ぼくも答えようがない。かりに本人が相談してきても気のきいたことなんていえないし、だいいち包丁を持ち出すほどつらかったら、きっと本人は話をすることもできないんじゃないか。

 休むように。なんとかして医者にかかるように。薬を出してもらうのがいいんじゃないか。そんな頼りない答えしかありません。

 十数年前、友人のひとりがうつになり急速に悪化して自殺しました。
 あんなに陽気で活発だった人が、なぜ。
 ぼくは驚くだけでした。そして思ったものです。うつなんて精神科の風邪みたいなものという言い方があったけれど、そんなことはない。

 その後、本を読み、うつになった何人かの話を聞きました。ああ、こういう病気かと多少わかった気になった。でもそのくらいではやはりわかっていなかった。

「わかっていない」ことをわからせてくれたのは、歴史学者、与那覇潤さんの著書『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)です。この本ではじめて、ぼくはうつについて、これまでとはちがうレベルでの理解を深めることができました。

 与那覇さんは、本を読むかぎりとても頭の切れる知性の人です。大学の教員になったけれど、うつになり辞めざるをえなかった。
 うつは、「知的能力そのものを完全にうしない、日常会話すら不自由になる」経験だったといいます。

 彼の闘病記を読んででハッとしたのは、うつは「意欲がなくなる」のではない、「能力の低下」が起きるのだということ。知的にも身体的にも。「自分の身体が鉛になったかのように重くなり、自分の意思ではどうしても動かせない」ようになる、それが周囲には「意欲の低下」と見えてしまう。
 つまり意欲の低下は結果であって原因ではない、ということなんですね。

 うつ、と一言でいってもさまざまだから、与那覇さんの一例ですべてが説明できるわけではない。でも彼の経験と考察は、うつになった人にも周囲の人にもとても支えになると思います。

 彼が精神科デイケアでさまざまな仲間と出会い、回復にいたる過程をとても興味深く読みました。精神科デイケアは、そこに来る人の才能や肩書といった社会的な属性が意味をなさないところです。おなじような経験をした「友だち」と出会うことで与那覇さん自身が変わってゆく。それはぼくが北海道浦河町でくり返し見た光景に重なります。
(2021年2月5日)