住宅街を走る車のナンバーを記録する。
誰の車がいつ、どこを通ったかがわかる。もともとは犯罪防止だった手段が、隣人を監視するための装置にもなってしまう。
警察がするならまだしも、それを民間人が、町内会がはじめたらどうなるのか。アメリカで論争が起きています(License plate scanners were supposed to bring peace of mind. Instead they tore the neighborhood apart. October 23, 2021, The Washington Post)。

ワシントン・ポストが報じているのは、コロラド州のあるコミュニティです。
郊外にある180戸あまりの住宅が門と柵に囲まれ、部外者が勝手に入れない、「ゲーテッド・コミュニティ」といわれる富裕層の住宅街になっているところです。
そこに自動車のナンバー読み取り装置を設置したところ、住民から反対が出た。
常時監視されてるみたいだ、そんな暮らし方をしたくない、やめてくれと。でも犯罪防止のためにはやむをえないと支持する人が多い。
ナンバー読み取り装置を設置したフロック・セイフティ社によれば、アメリカでは全国の1400の地域でこうした装置が稼働しているそうです。この2年間で4倍に増えたらしい。

(フロック・セイフティ社サイトから)
なんだかため息が出ますね。
繁華街の監視カメラは、どこでも当たり前です。犯罪捜査にとって監視カメラは不可欠のインフラとなった。いまやそれが一般住宅にも広がっています。
おなじことが、車のナンバー監視にも及んでいるということでしょう。
でも、警察がするのはわかるけれど、なぜそれを町内会がするのか。
そこまでして、まだ起きてもいない犯罪を恐れるのって、どうなんだろうという気がします。犯罪を恐れるだけじゃなく、なぜ犯罪が起きるのか、ぼくらの社会はどう壊れているかって、そっちの方も考えるべきじゃないのか。そんなふうに思うのです。

アメリカでは、少なくともそこにおかしいと声を上げる人がいた。そのことに救われる気がします。それが少数派で、消えゆく声だとしても、声があれば、そこで誰かが何かを考える。でも声がないところでは、誰も何も考えないんじゃないでしょうか。
日本では、声があがらないような気がします。
やがてぼくらの社会も、中国のように街頭で無差別な「顔認識」がはじまるのでしょうか。いつでもどこでも誰でも、つねに行動を把握されるのでしょうか。そうなる前に、ぼくは声を上げたい。おかしいといいたい。少数派になっても、それで世の中が変わらなくても、声を上げないわけにはいきません。コロラドのニュースで、そんな気分になりました。
(2021年10月24日)