台湾のミステリーを読みました。
『台北プライベートアイ』(紀蔚然, 舩山むつみ訳)。ミステリーとしてはちょっとつくり過ぎだけれど、朝日の書評にもあるように「台湾社会の魅力と闇を垣間見る」ことができ、そこは楽しめました。
とはいえ、飲みこめなかったところがあります。
犯罪と精神障害を類型的に結びつけていること。著者はそんなことはないというかもしれないが、一読者としてそう受け止めてしまった。たとえば連続殺人についての記述です。

・・・重度の精神病の場合、幻覚のせいで現実から乖離し、行動が筋道を失うことがある。連続殺人犯のほとんどは精神病質者であって、サイコパスの場合は、表面的には正常に見え、人を惹きつけることもでき、自分の個人的な魅力を利用するのが得意なものも多い。しかし、感情移入の機能が欠如しており、他人に共感できず、同情心もなく、冷酷である・・・
ミステリーをおもしろくするためにはこういう記述も必要でしょう。
でも現実の精神障害者は、こんなふうに画然と規定できない。犯罪学や心理学では、サイコパスというような分類が必要かもしれないが、著者がいうサイコパスの特徴、たとえば他人に共感できず、冷酷であることなどは、誰にでもあるもので、ときと場合によってそれが強く出るか出ないかのちがいではないか。つまり「線は引けない」と思うのです。それは精神障害者とともに多くの時間を過ごしたぼくの実感でもある。

精神障害は、統合失調症であれパーソナリティ障害であれ、診断基準が時代とともに変わっています。いまでも明確な診断基準が確立されているとはいえない。人によって、時代によって、精神病の見方は変わります。
そんな状況の精神医学にとって、特定の精神障害者が犯罪を起こすかどうかを予測する基準なんてあるはずがない。もまともな精神科医の多くは、若干の留保はあるかもしれないけれど、いうでしょう。精神病と犯罪は関係がない、と。
『台北プライベートアイ』の書き方には、無理があると思いました。でもエンタメの世界ではこうなることもわかります。その積み重ねが世の「常識」になってゆくことも。
こういう常識に、説教や啓蒙で対抗してもうまくいかない。常識には別の常識をぶつけるしかないでしょう。別の常識は、きっと精神障害者が地域で生きる、生身をさらしているところで生まれるのだろうと思います。
(2021年7月10日)