豚の心臓を移植

 数日前、豚の心臓を人に移植したというニュースが流れました。
 また懲りない外科医の向こう見ずな冒険かと、見すごしていました。でもそれはまちがいだった。これは冒険ではなく、根拠のある、また価値のある挑戦だったのです。
 使われたのが、遺伝子操作された豚の心臓だったからです。
 臓器移植の分水嶺となる出来事かもしれません(In a First, Man Receives a Heart From a Genetically Altered Pig. January 10, 2022, The New York Times)。

 豚の心臓を人間の患者に移植したのは、メリーランド大学のバートレー・グリフィス博士、移植を受けたのは57歳のデビッド・ベネットさんです。ベネットさんは心臓病で余命6か月と宣告され、人間の心臓を提供してもらうこともできない末期症状でした。もう死ぬしかないというところで、グリフィス博士が提案したのが豚の心臓の移植だったのです。
「おれはブーブー鳴くようになるんだろうか」
 ベネットさんの気がかりはそこだったと、グリフィス博士はいいます。
 息子は、豚の心臓をもらうなんて「親父がうわごとをいいだした」と思ったそうです。
 1月7日、8時間におよぶ手術でベネットさんには豚の心臓が移植されました。

 この手術を、FDA、アメリカ食品医薬品局は12月31日、緊急措置として承認しています。それだけの準備と動物実験の積み重ねがあり、挑戦する意義と安全性があると認めたのでしょう。

 ニューヨーク・タイムズによると、遺伝子操作は豚の遺伝子10か所に対して行われています。移植後の拒絶反応を防ぐために、関連した豚の4つの遺伝子を削除するか不活化し、新たに人の遺伝子を6つ挿入しました。
 いまのところ経過は順調です。豚の心臓だったらふつうは起きるはずの拒絶反応がなく、すでに術後48時間の最初の難関を乗りきりました。
 もしこの移植が成功すれば、臓器移植を待つ多くの人には朗報です。

 アメリカでは去年1年間に、4万1千人あまりが臓器移植を受けました。半分以上は腎臓移植です。心臓移植も3817例行われましたが、提供される臓器は圧倒的に不足している。いまなお50万人が、移植される臓器の提供を待っています。もしも豚の臓器が使えるようになれば、状況は一変するでしょう。
 ぼくらの運転免許証の裏には臓器提供のチェック欄があるけれど、それもなくなるかもしれない。
 遺伝子操作というアプローチが、コロナワクチンのmRNA技術とおなじように新しい時代を開こうとしています。
(2022年1月13日)