賤民のひまわり

 深く己の無知を知り、覚醒した本でした。
 台湾の学者、呉叡人さんの「台湾、あるいは孤立無援の島の思想」(みすず書房)です。
 台湾がとっくにぼくらの想像を超えた民主化をとげ、独立自尊への志向を強めながら、それにもかかわらず、というよりその故に、大国のはざまで呻吟する姿を伝えてくれる著作です。

 この本ではじめてぼくは、台湾で8年前に起きた「ひまわり学生運動」(本書では「三・一八運動」と表記されている)が何だったのかを知りました。
 2014年3月、学生たちが台湾の立法院、日本でいえば国会を占拠した事件です。

ひまわり学生運動
(台北 2014年3月、Credit: vicjuan, Openverse)

 ぼくは学生の暴動としか思っていなかったけれど、そんな皮相な見方を恥じなければいけません。「ひまわり學運」は、台湾でいまなおつづいている民主化運動のひとつの経過点であり、台湾の民主化を日本やアメリカや中国よりずっと先に進めた社会運動のひとつでした。こうした「下から上へ」の民主化の積み重ねが、いまの台湾をつくっています。

(Credit: othree, Openverse)

 とはいえこの本は2010年までの台湾史が中心で、ひまわり運動は最後の一章で紹介されるにすぎません。
 全体が伝えるのは、台湾が中国や日本、アメリカの重層的な植民地支配を受けつづけながら、今日の民主化をいかになしえたかです。それを論じる本書のなかで、たとえば著者はこういっている。

「Formosissima Formosa! ――世界史に出現したその瞬間から、台湾は、あの美しい徒労にはまり込んだ孤立無援の民、永遠の賤民(パーリア)を演じるよう、運命によって定められていたのであろうか」

(Credit: othree, Openverse)

 賤民であるにもかかわらず、自分たちは夢を見ないわけにはいかない。
「民豊かにして礼を重んじ、人間と天地は調和し、自主自尊を守り、広く世界に恵みをもたらす小国」となることを。

 ぼくがこの本に圧倒されるのは、台湾民主化の深さと覚悟だけでなく、これこそが日本の見ならうべき道だと思い知らせてくれたところです。
 日本語版への序文で著者はいっています。自分たちのような「歴史の中で孤立無援の弱者が自由を求めてもがき苦しむ姿」は、長らく「歴史の終わり」を漂い、目的感を失ってしまった日本で「新たな歴史の始まりの地点を指し示すものとなるかもしれない」と。
 この本は日本のために書かれたといえる、とも。

(Credit: othree, Openverse)

 ぼくらは台湾に「終末」を見るべきではない。そこにぼくらの「未来」を見いだすべきだ。
 そう思わせてくれるすごい本です。
(2022年2月4日)