贈与の人びと

 行った先で、ものをもらったらいけないといわれてます。授業でそう習いました。
 ひがし町診療所にやってきた研修生が、口をそろえていいます。
 だから、先生が往診先で野菜などもらうのを見てびっくりしました。
 学生のひとりが感想をもらしました。

 そういうやりとりを聞きながら、思います。
 診療所への「贈与」を、教科書のレベルで、大学の授業で解きあかすのはむずかしいだろうな。学生たちはどんな研修や授業を受けても、「贈与」の本質にはいたらないかもしれない。
 研修生にとどまらず、しばらく前に診療所を見学に来た病院の看護師が硬い口調でいったことがあります。
「患者や家族からものをもらうのはおかしい。診療所のやり方は納得できません」

 そういわれてもどういわれても、診療所は、精神科医の川村敏明先生は、スイカやトマトやサケをもらうのをやめない。それどころか楽しんでいる。
 診療所の「贈与」は、もっとずっと深いレベルの文化なのです。
 トウモロコシやカボチャのやりとりは、医者と患者のあいだの歓心や便宜のやりとりにはならない。少なくとも診療所が「もらう」ものは、ぜんぶならせば「あげる」ものより多くはない。そもそも、贈与は大きいとか小さいとか数量化できるものではない。

 医療人類学者の浮ヶ谷幸代先生は、こういいます。
「日本の医療現場で守られている倫理は、アメリカ由来の倫理であり、医療人類学では世界を見渡せばアメリカの倫理こそ特殊例であり、普遍的ではない」(DVD「地域に生きる精神科」付属資料)

 野菜や魚をもらうのは、狭い倫理を守るより「ずっと豊かな世界を創る」ことにつながります。
「豊かさ」の芯にあるのは、診療所や川村先生が患者に、地域にもたらす「安心」でしょう。
 贈与としての安心。その安心への「返礼」としての野菜や魚。その循環。そういう「おたがいさまの関係」こそが、ともに地域社会をつくることになる。
「文化人類学では、人間社会を形づくるための根本原理となる、こうしたモノや行為のやりとりを贈与関係と呼んでいます」

 そこでは、何をどれだけもらうか、あげるかが重要ではない。もらったりあげたりお返しをする、その「関係性」こそが重要なのです。倫理以前に。

 医療関係ではなく贈与関係。
 これを地域社会に生きているのではない人びとに説明するのは、なかなかむずかしいですね。
(2021年9月3日)