進歩という嵐のもとで

「モダン語の世界へ」という岩波新書を読みました。
 京都大学名誉教授の山室信一さんの著書です。20世紀初頭、1910年から30年代にかけて日本社会に現れた流行語、「モダン語」をとおして社会の姿を捉えようとする試みです。
 なんだ、懐古趣味かと思われるかもしれない。でもそんな単純な話ではない。

 モダン、というのはいまでは死語に近いけれど、1930年代にはネットやITとおなじような響きがあったはずです。新しいもの、流行のもの、時代の先端。
 それが広がったのには、お好み焼きの一種「モダン焼き」が一役買ったらしい。
 大阪で、お好み焼きに焼きそばを加えたら人気になった。「もりだくさんなお好み焼き」の、もりだくさんがなまって「もだん焼き」、モダン焼きになったんだそうです。
 それはまあ、ひとつのエピソード。著者もいうように、じゃあモダンって、モダン語って何か、定義しようと思ったらなかなか捕まえどころがない。

 1930年代にモダン語とされたものはブルーマース(ブルマー)、オールドゥーヴル(オードブル)、メヌウ(メニュー)、ジャズ、などなど。日本人の生活に大転換をもたらした衣食住、芸能文化の変貌がうかがえます。

 こうしたモダン語を研究した著者は、あとがきで書いています。
・・・人間やモダンを考えるには、「言葉で考える」だけでなく・・・「言葉を考える」必要がありはしないか・・・
 ぼくらが何を考えているかは、どういうことばで考えているかと切り離せない。
 流行語を列挙するだけではなく、そういうことばをつくり、つかった人びとは何を考えどんな社会をつくっていたのか。そこを掘り下げて著者は「思詞学」という新しい学問分野を提唱しています。

 率直にいって、「モダン語」についてはふむふむ、なるほどと、おもしろく読めたけれど、さて著者がいいたいことは何か、そこをつかむのはむずかしい。
 どうやらモダン語をとおして、現代思想史を語り直すところにあるようです。

 モダン語は21世紀初頭、日本に「外の世界」が圧倒的な量と勢いで入りこんでくるところで生み出されています。それが1940年には、戦争のための「時局語」に変わっていった。
 日本は「進歩という嵐」に耐えきれず、モダン語でいったん開いた身をやがて閉ざしていったということでしょうか。
 著者の“逡巡の語り”は、読者にかんたんな回答を与えません。
(2021年10月30日)