遊離するオリンピック

 オリンピックに政治を持ちこんではならない。
 IOC、国際オリンピック委員会はずっとそう主張してきました。
 でも、ちがうんじゃないか。
 それが「政治」ではなく、もっと基本的な「人権」や「差別反対」だったらどうなのか。それもいけないというのはおかしい。そういう主張が、アメリカやヨーロッパで強まっています。

 大きな変化の分岐点に、メキシコ・オリンピックの「見直し」があります。
 1968年、黒人解放運動の希望だったマーチン・ルーサー・キング師が暗殺された年、メキシコ・オリンピックの陸上競技、200メートルで優勝したアメリカのトミー・スミス選手と3位のジョン・カーロス選手は、国歌演奏のあいだ表彰台で拳を突きあげ、黒人差別への抵抗を示しました。二人は資格を剥奪され、オリンピックから追放されました。
 けれど二人は黒人解放運動の象徴となった。
 そして半世紀後、栄誉を回復されました。

 オリンピックにも大きな影響力を持つWA、世界陸上連盟は去年12月、二人に「会長賞」を贈り、その栄誉をたたえています。
 かつて二人を追放したアメリカ・オリンピック委員会も2019年、二人の偉業をたたえ、選手の殿堂(ホール・オフ・フェイム)に迎え入れると決定しました。
 二人は名誉を回復されただけでなく、歴史に輝くアスリートとして称賛され記憶されることになったのです。

 こうした動きの背景には、スポーツ選手はたんなる政治問題ではなく人種問題のような人間の尊厳にかかわる事柄については、オリンピックの場といえども平和的な手段で自らの意志を示すことは許される、少なくとも罰してはならないという考え方があります。
 この考え方に、世界陸連だけでなく、国際サッカー連盟、アメリカ・オリンピック委員会、選手団、そしてヨーロッパの選手団体などが賛同しているとAP通信が伝えています(Olympic athletes promised legal support if they protest. April 23, 2021, AP)。

 でもIOCはこうした動きを無視している。
 日本のオリンピック関係者もまた、もし東京で選手が国歌演奏のときに拳を突きあげたり3本指を見せたり膝をついたりしたら、あわててやめさせるだけでしょう。それをたんなるルール違反とみなし、歴史の流れだとは考えない。NHKはそういう映像を削除するでしょう。
 政治を持ちこむなというのは、現実を見るなということなのです。
(2021年4月29日)