長年、どうしても見たいと願っていました。
北海道登別市の「銀のしずく記念館」です。
木曜日、とっさに思い立ち、浦河から車で2時間半かけて行ってきました。
アイヌ語をこの世に書き残したただひとりの女性、知里幸恵(ちり・ゆきえ)の記念館です。
住宅街のはずれにある木造二階建てのミニ博物館には、19歳で夭折した才気あふれるアイヌ女性の姿が切れ切れに残っていました。

ぼくにとって知里幸恵は、樋口一葉とならぶ存在です。
彼女には並外れた知性があった。その知性で、祖母が伝えるアイヌの口頭伝承を聞き取り、ローマ字で記し、日本語に翻訳して「アイヌ神謡集」にまとめました。
アイヌ語ネイティブとしての祖母モナシノウク、そして聡明な孫の知里幸恵、幸恵を助けた国語学者の金田一京助、この組み合わせがなければアイヌの伝承ユカラは、いまのような形で残ることはなかった。
そのドラマを話せばきりがない。でもここでは周縁の2,3のことをメモします。

そのひとつは「ウポポイ」との対比。
銀のしずく記念館から30分ほどの白老町には、去年はなばなしく開設された国立アイヌ文化施設「ウポポイ」があります。この施設への疑問はこのブログにも書きました(2020年11月26日)。ともにアイヌにまつわる施設でも、ウポポイが「観光」だとするなら記念館は「志」、ウポポイにはないアイヌの息遣いを感じました。

また記念館のスタッフが、「知里といえば、みんな(幸恵じゃなく、弟の)真志保」と苦笑いしていたこと。
知里幸恵の弟、知里真志保は東大を出て北海道大学の教授にもなった。アイヌの星といわれた人です。それにくらべ、姉の幸恵には世間の目が向かない、残念だというのですね。でも遺品を見てぼくは思いました。東大教授の金田一京助が舌を巻くほどだから、幸恵のほうが頭はよかったと。

記念館の控室には作家の津島佑子の色紙がありました。「知里幸恵さんのアイヌ神謡集に魅せられて」と書いています。ああ、あの人もまた幸恵に引き寄せられてここまで足を運んだのかと、感慨深く拝見しました。
樋口一葉は5千円札になったけれど、知里幸恵もせめて千円札くらいにしてほしい。そういう視点が、日本という国にはまったくないのですね。
(2021年12月10日)